「家族はできたけど、僕は上島さんも亡くしちゃってるから」後輩芸人に誕生日を祝われるタイプではないが…有吉弘行(50)が“絶望”の中で出会った仲間
“恩人”ウッチャンナンチャンとの深い関係性
そんな昨年の『紅白』のハイライトの一つは、日本のテレビ放送70年を記念した特別企画「テレビが届けた名曲たち」。その中で、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ)で誕生したユニット・ポケットビスケッツとブラックビスケッツが登場したのだ。 「僕にとっては特別な思いがある先輩方で。苦しい時お世話になってたというのもありますし。ヒッチハイクから帰ってきてホテルに缶詰め状態になってた時があったんですよ。その時にわざわざ来てくださったのがあの方々で」「『まだまだ大変なことがあるだろうけど一生懸命がんばってね』言っていただいて、それをずっと胸に留めていて」(同)と語っているように、有吉にとってウッチャンナンチャンは“恩人”だ。 彼がくすぶり始めた頃も、南原清隆司会の『リングの魂』(テレビ朝日)の柔道企画「J-1」で活躍の場を与えていたし(このときの有吉を見て、ナンシー関がその「ふてぶてしさ」をいち早く見抜き評していたのも有名な話だ)、前述のように内村光良司会の『内村プロデュース』では、猿岩石を主役にした企画や名物キャラとなった「猫男爵」などで重用していた。 「今回も僕のためってわけじゃないけど、少しは『有吉がやるなら』って思いで出てくださったんで、本当に感謝しかなかったですし、(舞台)袖で危なかったですね。なに中盤で泣いてんだろうと思われちゃうからグッと堪えてね」(同) 有吉にとって数少ない“仲間”のような存在なのだろう。今年9月には「内村光良還暦祭り」として『内村プロデュース』が一夜限りの復活を果たした。当然、有吉もそれに参加。「有吉とかバナナマンよりもレッド(吉田)さんが前はいいんですか?」と有田哲平がツッコんだように、“序列”も当時のまま。後列から体を張って笑いを取っていた。同じく「還暦祭り」といえば、横浜アリーナでおこなわれたライブ「男・出川哲朗 還暦祭り」(2024年1月14日)にも、めったにライブに出ることはない有吉が出演。ダチョウ倶楽部を始めとする太田プロの先輩たちとパンイチ姿で熱湯風呂などで体を張りつつ、オチとして「白い雲のように」を歌い、「やめろー」「曲を大事にしろー!」などと内村にツッコまれていた。 ちなみに有吉が50歳になって初めておこなった仕事は、有吉を「お師匠様」と慕う平成ノブシコブシ・吉村崇が福岡でやっている番組『福岡上陸!ノブコブ吉村のぱくTube』(RKB)へのゲスト出演。体を張りまくっていた。 確かに毎年誕生日にホームパーティをするような仲間は少ないかもしれない。けれど、その人のためなら体を張れるというような深い関係性を築いているのだ。 ただし一方で、体を張る=芸人として偉いというような風潮にも有吉は与していない。仕事がない中で過酷な長期ロケに行ったときのことを、いま思えば「人生の中でいい時間だった」と振り返りつつ、こう続けている。 「その時期にしかできない仕事がやっぱりあるんですよ、みんな。いまやってる仕事っていうのは、いましかできない仕事だから大事にやんなきゃいけない。逆に俺なんかがそういう仕事やってないと、『有吉は体張ってないな』とかよく言うんだけど、それ、いまやる仕事を一生懸命やるだけの話なんで」(『有吉弘行のサンデーナイトドリーマー』2024年9月1日) そして今年も有吉は『紅白歌合戦』の司会を務める。1度きりではないかと思っていたから驚いたが、「いま」求められていることをまっとうしなければならないという考えがあるからだと思うと合点がいく。 「誰かに譲りたくないなと思っちゃうんです」 前出の『有吉クイズ』のメダルゲームで高く積み上げられたメダルタワーを見ながら有吉は言った。 「それがね本当、人生と一緒でね。いつまでも芸能界居座ってんな、みたいな。お前これだけ(メダルが)あるんだからいいじゃないかと思うじゃないですか。誰かに譲ってあげろよと思うんだけどね、やっぱり欲深いんですよ。あれ(タワー)落とすまでは帰らないぞと思っちゃうんですよね」 有吉はそんな自分を「惨め」だと自嘲するが、それが“絶望”を抱えた者の生き方だ。 ◆◆◆ ※1 2023年6月27日放送の『有吉クイズ』で、美味しいうな重をイチから作りたいという企画で、有吉自ら川の激流に入り天然ウナギを捕ろうと体を張って奮闘した。 ※2 フェティッシュあふれる様々な扮装をする有吉をレスリー・キーが撮影し、カレンダーを作る企画が毎年おこなわれていた。
戸部田 誠