銀シャリ橋本直、トレードマークの青ジャケ誕生秘話 劇場支配人からの「早く着替えろ」がきっかけ
自分たちのスタイルを「正統派漫才とは思っていない」
高校に入ってからは帰宅部で、テレビ三昧の日々。そこから、お笑いに興味を持ち、吉本興業の養成所「NSC大阪校」に25期として入校した。 「芸人として成功するなんて無理と思ってたんですけど、挑戦したという事実があれば、『お笑い芸人になりたい』という気持ちを自分の中で消化できるかなと思っていたんです。きっと、色々な物事に対してどこかで達観しすぎちゃっているんです。小さい頃から俯瞰でなんか物事を見透かして、かわいくない子どもでした」 2005年8月にNSCの同期だった鰻和弘と「銀シャリ」を結成し、『THE MANZAI』2011、2013、『キングオブコント』2012ではファイナリスト、『M-1グランプリ2016』では王者に輝く。M-1グランプリは3度目の挑戦だった。 「M-1グランプリは途中、中断もあって、僕らが王者になったのは再開して2回目のとき。いまとはだいぶ空気感が違いますよね。2017年から拠点を東京に移すのですが、その前からも東京で仕事していましたし、大阪でもレギュラーがあったので、劇的に生活が変わったというわけでもなかった気がします。アルバイト生活が長い下積み時代もそれほどなかったし、とりあえず、お笑いの神様から『君たちは漫才をやっていいよ』と言われたようで、ホッとしたなという感じでした」 2016年の「M-1グランプリ」は緊張もなく、楽しかったという。 「決勝の時は、スーパーマラドーナ、和牛がウケていたんで、パワーがいるなと思ったのを覚えています。僕らは、自分たちが正統派漫才とは思っていないんですけども、正統派でやっている人たちが少なくなったから、そう呼ばれたんでしょうね。それに、青ジャケットを着てるから、“正統派”に見られやすい感じはありました。僕らの漫才は、ボクサーで言うと、ジャブとストレートのコンビネーション。体に染み込まれたものを愚直に繰り出して、最後に倒すみたいな感じなんです」 トレードマークになっている青ジャケットは、どうやって決まっていたのか。 「最初の1年ぐらいは普通にジャケットとネクタイを着ていました。その1年後ぐらいに青ジャケットにしました。当時は私服で舞台に出る人が多くて、スーツを着ている芸人があまりいなかった。僕らは僕らなりに、衣装用の奇麗なシャツを着てたんですけど、劇場の支配人から、『お前たち、出番だから早く着替えろ』と言われ、それだったらそろいの青ジャケットを着ようと、僕が相方の鰻にいいました。漫才ブームの頃に見た青ジャケットがかっこいいなと思ったんです。この衣装がインパクトがあって、目に留まることも多くなった感じはします」 M-1の賞金1000万円は婚活資金にすると言っていたが、実際はほとんど貯金したという。 「引っ越し費用に使い、親とおばあちゃんに上げましたかね。自分のために残るものを買った記憶はないです。僕は、昭和のオモチャ、サッカーが好きなので、ユニフォームなどを買ったかもしれない」と橋本。漫才で培った「観察力」と「洞察力」で描かれるエッセイ集は、笑いだけでなく人柄や日常へのこだわりも垣間見ることができる。 □橋本直(はしもと・なお)1980年9月27日生まれ。兵庫県尼崎市出身。関西学院大卒業。2005年に相方・鰻和弘と銀シャリを結成し、独特の軽妙な言葉遊びと緻密なボケとツッコミで注目を集める。2016年にはM-1グランプリで優勝し、その名を全国に広める。ツッコミの名手として知られ、シンプルで正統派のスタイルを貫きながらも、観察力と洞察力を駆使した鋭い指摘で笑いを生み出す。また、コンビとしてのバランスはもちろん、個人でも多方面で活躍。漫才だけでなく、バラエティー番組やラジオ番組への出演も多い。
平辻哲也