生理前の凄まじいイライラに苦しむ女性に、同僚男性がかけた言葉が尊い|映画『夜明けのすべて』
ズレたやり取りがクスクス笑えるコメディーに
それらのPMSとパニック障害の苦しさを描いてこそ、2人の「距離感」が良い方向へと変わっていく様が、とても愛おしくて尊く思えることが、本作の大きな魅力だ。 2人は初めは(必要な過程ではあっただろうが)距離感を間違えてしまう。藤沢さんは、きれいに磨いた自転車をプレゼントしようと、山添くんの家まで直接やってきて、迷惑がられたりする。 山添くんも、PMSを勉強したものの、唐突でしつこい上にズレたアプローチをしてしまうため、「なんなの、いちいち」と藤沢さんにウザがられてしまったりするのだ。 そうしたやり取りはギスギスするだけではなく、クスクス笑えるコメディーにもなっている。特に「散髪」のくだりは、藤沢さんが「真剣に失敗をリカバーしようとする」からこそ、山添くんのツッコミに大笑いできるだろう。
「絶対」ではなく「可能性」を提案するアプローチ
そんな2人の関係性と距離感は、山添くんの以下の言葉を発端として、しだいに「正解」を見つけていったように思えた。 「自分の発作はどうにもならないですけど、3回に1回くらいだったら、藤沢さんのこと助けられると思うんですよ」 相手のことを絶対に救えるわけじゃないし、自分のことだってどうにもならないかもしれない。それでも、助けられることはあるかもしれない。現実でも、苦しんでいる身近な誰かに、そのような「可能性」を提案できるのではと、心から思えたのだ。 そして、2人はいつしか「じゃあ、また明日」「うん、また明日」と言って別れたりもする。なんてことはない、あっさりとした、ごく普通のやり取りおよび距離感になったと思えるからこそ、理想的に見えるし、ずっと見ていたくなるほどだった。
映画館でプラネタリウムを擬似体験できる
原作小説からのアレンジが、物語の本質を損なうことなく、映画ならではの「伝え方」にもなっていた。 中でも大きな変更点は、2人が働いている建築資材などの金物を扱う会社を、科学工作玩具や理科実験用機材の制作や販売を手がける会社にしたことだろう。そのため、終盤では原作にはない「移動式プラネタリウム」という舞台装置が登場する。 映画館のスクリーンで見れば、劇中の登場人物と同じように「暗闇の中で星を見る」プラネタリウムの擬似体験ができるし、その時のナレーションも、さまざまな「生きづらさ」や「孤独感」を抱えた人たちへの、真摯なメッセージにつながっていた。