世界が注目するブラック・アーティストが20年間も訪日を続ける理由 日本初の個展に見える「その地が持つ文化への敬意」
ひと苦労さえも展示の一部
床に嵌め込まれた膨大な数のレンガ、2万冊の書物、2万点もの小出芳弘が作った常滑焼、1000本の「門インダストリー」と印字した貧乏徳利。 これだけ大きなスケールの展覧会を完成させる道のりは並大抵なことではなかったはずである。この展示を担当し、シアスター・ゲイツと一緒に開幕まで走り切ったのは徳山拓一氏(森美術館キュレーター)である。今回はこの徳山さんにお話を伺うことができた。 まず、棚に所狭しと並ぶ常滑焼は、半分が新聞紙に包まれている。ここまできて半分見えない状態というこれはどういうことなのかを聞いたところ、これは常滑から展示会場に運ぶ際、梱包のために包まれた新聞紙が半分だけ解かれた状態ということだ。「梱包のために包む」「解く」――その過程自体をもゲイツは展示しているという。 そして貧乏徳利の前に置かれたカウンター。そのカウンターには6脚の椅子が置かれている。徳山さんは言う。 「その椅子に座る行為も展示の一部なので、これにはぜひ座ってみてください。背もたれのある椅子が4脚と背もたれのない椅子が2脚。どちらもこの展示のために京都のアンティークのお店で買ってきたものです」 私は背もたれのない椅子に腰掛けたが、これがとても高くて降りる時に怖くて苦労した。その降りる時のひと苦労さえも展示の一部。
ジャズ・ミュージシャンのように即興的に形を変える
展覧会を作るにあたってシアスター・ゲイツと最も長く時間を過ごした徳山さんである。展示を作る裏側にこそ、作家その人の姿が鮮明に見えてきそうだが、この展覧会を作る時に難しかったことは何だろうか? 「シアスターはジャズ・ミュージシャンのように即興的にいろんなことを思いついたり、元々の形を変えたりします。次々考えが変わったり、時間のない中でも色々思いついて、あれがやりたい、これがやりたい、という思いが湧いてくるんですね。ですのでそれに振り回されることはとても大変でした。でも、そこが楽しいところでもあります。例えば、最後の〈アフロ民藝〉の部屋は、どの作品を持ってくるかのピースは決まっていましたけど、什器が決まってなかった。長野にある山翠舎に什器になりそうな古木を見に行ったのは、雪の降る2月でした。開幕2カ月前ですね」 開幕2カ月前というと、通常であればもう展示プランは全て整っていて、後は展示作業に向かって確認しながらコツコツと進むだけ、というのが理想である(なかなかそうはいかないが……)。 「実は、その部屋に展示してあるタールペインティングの作品なんですが、これは本当は全部で15メートルほどの大きな一つの作品だったんです。それが輸送する時に丸めてきましたら、曲がった跡がついてしまって、これは作品として微妙な感じだな、と思っていましたらシアスターが急にカッターで切り出して。それであのサイズになって全く新しい作品になりました」 そんなことがあるんですか! ……あったんですね。 なるほどそんな背景からあの空間の生命力、躍動感、ダイナミックな空気感が滲んで伝わってくるのだ。そしてこれこそが、ここでの展覧会の醍醐味になっている。