【コラム】大統領が揺さぶった韓国経済
歴代大統領のうち「経済大統領」を標榜しない人はいなかったが、大統領が前に出るほど韓国経済のシワは増えたのでこのようなアイロニーも他にないだろう。尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領がその頂点をつけた。 経済に最も害になるのが不確実性だ。それもそのはず、明日何が起きるか分からないのに誰が投資をし、消費をするだろうか。政治が経済に対してできることの中で、最も利益となることも不確実性を可能な限り抑えることだ。ところが概して大統領はこうしたことには不得手だった。一歩さらに進み、尹大統領は率先して不確実性を作り、これを増幅させた。そうしているうちに結局戒厳宣言でその存在そのものが不確実性になった。 なにも今回の戒厳事態だけではない。尹大統領は就任以降、多くの不確実性を作り出した。現実とかけ離れた独断的経済認識が主な原因だ。7-9月期経済成長率が横ばいで、国内外の研究機関でも連日警告灯をともしたが、尹大統領はずっと経済楽観論を守った。「経済が確実に生き返っている」(8月)、「そろそろ経済が背伸びをしている」(11月)と話していたが、戒厳事態で市場が廃墟になった状況でも「経済が活力を取り戻して、少しずつ温もりが広がる姿に力が出た」と話した。 大統領の認識がこれだから、政府も顔色をうかがうよりほかはない。先月までの企画財政部の公式的な景気診断はずっと「回復傾向」だった。そうしたところ15日、「最近の景気動向(グリーンブック)」を出しながらこっそりと「景気下振れ危険」に言及した。弾劾案通過のすぐ翌日だった。経済診断がこのような形なので、政策処方が正しく行われているわけがない。 言葉と行動が一致しないのも不確実性を大きくした主犯だった。大統領はいつも自由と市場、法治を叫んでいたが、現場では乱暴な官冶が横行した。ポピュリズムを排撃するとしながらも投票者の心を狙った空売り禁止、金融投資所得税廃止など電撃的な発表を脈絡なく乱発した。グローバル投資家は「本当にバリューアップしようという政府なのか」と言って首を横に振った。その副作用を知る官僚も難しい表情で竜山(ヨンサン)のほうを覗き見するだけだった。既存の市場を訪問して「前向きな内需・消費振興策」を約束した翌日に戒厳を宣言したのは言うまでもない。 さらなる政治リスクに市場は大きく波打った。不幸中の幸いだったのは、戒厳が直ちに解除されて対外信任度の最後防御線である国債市場と国家信用格付けは守ったということだ。二大格付け機関(ムーディーズ、S&P)が韓国に付与した信用格付けはAAで、G7国家である英国、日本より高い水準だ。3度の大統領弾劾と深刻な政治混乱を経ながらも地道に上向きを続けてきたので誇らしいことだ。このような水準の経済規模と制度を持っている国で、どうしたらあのような後進的政治形態が起きるのかという外信の質問に、韓国銀行の李昌鏞(イ・チャンヨン)総裁は「経済と政治は別個のシステムで回っている」と答えた。なんとか外国人投資家を落ち着かせようと前に出した論理だったのかもしれないが、心の中ではどれほど恥ずかしくて気まずかったことだろう。 問題は安心するのはまだ早いということだ。主要格付け機関は信用格付けを維持しながらも政局混乱が長期化する場合、「否定的影響」があり得ると警告している。実際、ムーディーズは14日フランスの信用格付けを一段下げた。62年ぶりの政府解散事態が起きた後、深刻な政治分裂が現れながらだ。弾劾の峠を越した政界で再び陣営論理が飛び交い、選挙の有不利だけを計算する姿を見ると、全く同じことが韓国で起きないとも限らない。 「歴史は繰り返す 1度目は悲劇として 2度目は喜劇として」。8年ぶりの大統領弾劾訴追を見てカール・マルクスが書いたこの一句を思い出した人々も多かったはずだ。だが、個人の運命を越えて経済の観点で見ると、このような部類の事件は喜劇どころか常に悲劇だけで終わる。経済主体全体が高価な代償を支払わなければならない。悲劇が繰り返すならば、構造の問題を一度振り返ってみるべきではないだろうか。今回の事態はいわゆる87年体制と呼ばれる政治システムが限界に至って破裂音を出した、「政界通貨危機」という性格が濃厚だ。低い生産性、借金に依存した過剰投資という構造的問題を適時に修正できないうちに、結局国の経済が破綻を迎えたのが97年通貨危機だった。その後、崖っぷち危機の中に骨身を削る構造調整を通じて韓国経済は質的に飛躍した。同じやり方で各自既得権はしばらく脇に置き、真剣な省察と同時に構造的改革のための議論を始めればよい。そしてわれわれが体験しているこの危機が、もう一つの「偽装された祝福」となれるよう、切に願う。 チョ・ミングン/経済産業ディレクター