祖母は焼死、9歳で母が死去…壮絶ないじめで退学など悲惨な経験を乗り越えイギリスの首相になった貴族とは? とある侯爵家の大躍進の歴史
華麗なる5兄弟
侯爵家の政治的な安定は続いた。3代侯爵の5人の息子たちはそろいもそろって優秀だった。長男ジェームズ(1861~1947)は第4代侯爵を引き継いだが、弟たちもそれぞれひとかどの人物に育っていった。次男ウィリアムは聖職者となり、エクセタの主教にまで昇進する。3男ロバートは政界に入り、第1次世界大戦のさなかに国際連盟の設立に尽力。戦後も連盟を支える活動を国内外で展開し、1937年にはノーベル平和賞まで授与された。彼自身もセシル・オブ・チェルウッド子爵に叙せられた。4男のエドワードは陸軍軍人となり、エジプトで軍事と財政双方の行政機構を立ち上げた。そして5男ヒューは政治家になったが、イートン校の理事長として青少年育成に尽くし、クイックスウッド男爵となる。 なかでも長兄の4代侯爵は、偉大な父から引き継いだ侯爵家の名をさらに高めるというプレッシャーにも耐えなければならなかった。26歳のときにアラン伯爵の次女アリスと結婚し、2人は2男2女に恵まれる。このうちの次女はやがて未来の10代デヴォンシャ公爵と結ばれることとなった。
ロイド=ジョージを失脚に追いやった4代侯
4代侯が政治家として活躍した時代のイギリスは、貴族の時代から大衆の時代へと移り変わる過渡期にあたった。不動産への相続税を大幅にアップする人民予算(1909年)や貴族院の権限を縮減する議会法(11年)、そしてアイルランド自治法(14年)など、自由党政権が矢継ぎ早に改革を進めていった。 やがてイギリスは第一次世界大戦(1914~18年)に突入する。1916年からは戦争指導者として定評のあるデイヴィッド・ロイド=ジョージが首相となったが、爵位や栄誉を金でばらまくとの噂が絶えない新首相に、侯爵は元々否定的な姿勢を見せていた。度重なる入閣要請も断り、戦後しばらくたった1922年10月には、ロイド=ジョージを首相から追い落とす保守党内の画策で、侯爵はひと役買うことになる。彼が失脚すると、4代侯は枢密院議長として入閣し、保守党貴族院を主導していく。 しかし時代は大きく変わっていた。いまや保守党が対峙するのは労働党となっていた。労働者の政党である同党に貴族院議員などほとんどいない。とはいえ国民から支持を受けている限りは、労働党の政策に正面から反対せず、妥協をも辞さないで対応すべきとの4代侯の姿勢は、のちに息子の5代侯に引き継がれていく。