日本のスポーツ界は変化への「体感情報」を持った人材が圧倒的に少ない
【スポーツ時々放談】 ポルトガル語辞典の「JUDOCA」の項に「柔道家」とある。「じゅうどうか」ではなく「ジュドッカ」と発音する。日本生まれブラジル育ちの友人が「そうだったの」と驚いたので、逆に驚いたものだ。 【写真】「控えめに言っても最悪」だったパリ五輪選手村の食堂 1980年代前半、正力杯国際学生柔道大会でのこと。中南米のジュドッカがソックスのまま畳に上がった。審判に「待て待て」と注意された学生は「いけねえ」と笑いながらソックスを脱ぐと丸めてコーチに放り投げた。見とがめた審判が「コラッ!」と怒鳴ると、きょとんとしていた。 講道館の全柔連と東海大・松前重義総長率いる学柔連が対立していた頃で、武道館は松前・正力の盟友の力で建てられたのだ。カラー道着の紛糾などを経て、柔道はずいぶん変わり面白くなった。面白くするために工夫されたのだ。 古代オリンピックまで遡るレスリングはおいそれといじれないが柔道は変えられる……それが面白くないと感じる人は多いだろう。 ■「誤審」と騒ぐ以前の問題 オリンピックが終わるたびに誤審、誤審という声を聞く。審判がヘボ、新ルールはダメーーむなしい叫びに聞こえる。 スポーツは審判がいなければ成立しない。国際審判員なしに記録は公認されない一方、あらゆる競技で日本の国際審判員は極めて少ない。複数の審判員が立ち会う競歩が典型だが、テニスもバドミントンも、国際審判員を招いて試合を成立させる。不在の理由はコミュニケーション力だという。英語力? ただし、規則を作るのは審判ではない。競技団体の国際組織に日本の理事がいない、いても機能していないなら、語学力の話ではなくなる。とりあえず、2人の顔が浮かぶ。 国際テニス連盟の副会長として88年ソウルでテニスの五輪復帰に貢献した故・川廷栄一、不可能と言われた東京マラソンを実現させた現財団理事長の早野忠昭。この2人は会議で相手の意見を聞き、自分の考えを述べることができた。いまはテレビ会議だ。失礼ながら、ずばぬけて流暢な英語とは思わないが、ともに元アスリートで、片やカメラマン、片やビジネスマンとして、フリーランスの立場で現場経験を積み人脈を得たーー彼らのように(スポーツの)変化への体感情報を持った人材が圧倒的に少ないのだ。 選手の技量が向上すればなお不満は募り、裾野では不毛な誹謗中傷が飛び交う。選手も、国に戻れば下にも置かぬタレント扱いに悪い気はしないようだ。仕方ないと言うしかない。 (武田薫/スポーツライター)