蛭子能収さん・オレが認知症になって変わったこと、変わらなかったこと
アルツハイマー型認知症を公表へ
病院で認知症の診断が出たのが20年でした。そこで蛭子さん夫婦と事務所は話し合い、悠加さんの負担を軽くするためにも認知症を公表し、その上で仕事を続けることになりました。 そこには認知症のためにできないことがあっても仕事を続けたいという蛭子さんの思いもありました。 「やっぱり自分でお金を稼ぎたい。認知症の今も、生きている実感が欲しいです」と蛭子さんは話します。 ■蛭子さんと認知症の付き合い ●2014年 軽度認知障害と診断される ●2017年 夜中を中心に、認知症の症状が出始める ●2020年 アルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症と診断を受ける。認知症を公表。現在に至るまでショートステイやデイサービスを利用しながら、妻・悠加さんと自宅で暮らす 次回は、認知症公表後の蛭子さん夫婦の変化、蛭子さんが今一番大切にしていることなど語ります。 蛭子能収さん 1947(昭和22)年生まれ、長崎県出身。高校卒業後、看板店、ちり紙交換などの職業を経て33歳のときに漫画家に。タレント、俳優、エッセイストとしても活躍。近著に『おぼえていても、いなくても』(毎日新聞出版刊)。 悠加さん 蛭子能収さんの妻。週刊誌「女性自身」のお見合い企画をきっかけに3年半ほどの交際を経て2007年1月に結婚。趣味はお寺や神社を参拝すること。蛭子さんのケアをしながらともに自宅で暮らしている。 取材・文=大矢詠美 ※この記事は、雑誌「ハルメク」2023年1月号を再編集しています
雑誌「ハルメク」