蛭子能収 テレビの世界の扉を柄本明さんが開けてくれた
そんなスタートラインなのに(笑)、そこから役者のお仕事もいただくようになりまして。フジテレビ系の連続ドラマ「教師びんびん物語II」(89年)にも出ましたし、「いつも誰かに恋してるッ」(90年)では宮沢りえさんのお父さん役もやりましたし。柄本さんにきっかけをいただいてから、あれよあれよという間に、テレビの仕事が増えていったんです。 いまだに、なぜオレを舞台に呼んでくれたのか。オレのどこをいいと思ったのか。そんな細かい話は柄本さんからは一切ありません。ただ、自分では、絶対に、行かない道でしたからね。断り切れなくて進んだ道でしたけど、今、ここに自分がいて、こんな仕事をさせてもらっているのは、一も二もなく、柄本さんのおかげです。 本当ね、こんなこともあるもんなんだなと…。これは、オレとしたら、ご縁に感謝するしかない。柄本さんがオレに声をかけてくれたおかげで、いろいろな人との出会いもあったし、あのまま漫画家をやっていたら経験できなかったこともたくさんさせてもらいました。そして、やっぱり、あとは、お金がね…(笑)。これはね、すごく楽になりましたよ。それまでは食えると言ってもギリギリの生活で、芸能界からもらうお金は、そりゃ、助かりました。 恩返しですか。もう少し仕事を頑張って、柄本さんが「あいつはオレが育てたんだ」と言ってもらうことでしょうね。でも、ま、それは無理かな…。えっ、あきらめが早いですか(笑)。 3年ほど前に、柄本さんに感謝を伝えるような番組があってそこでお礼は言ったんです。「柄本さんのおかげで今のオレがあるし、本当に、お金をあげたいくらいです」って。ただ、柄本さんが「じゃ、ちょうだい」って言った瞬間「いや、それはちょっと…」と言っちゃった…。でも、本当に感謝してるんですよ。本当に、本当に。できれば、お金はあげたくないだけで(笑)。 (取材/文・中西正男) ■蛭子能収(えびす・よしかず) 1947年10月21日、熊本県に生まれ、長崎県で育つ。高校卒業後、さまざまな職を経験し、73年に「月刊漫画ガロ」で漫画家デビュー。87年、柄本明からのオファーで「劇団東京乾電池」の公演に出演したことをきっかけにフジテレビ系「笑っていいとも!」に出演し、タレントとして一躍注目を集める。テレビ東京系「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」シリーズなどでも人気を博す。2016年には映画「任侠野郎」に主演。また「京都国際映画祭2016」(10月13~16日、よしもと祇園花月や京都市役所前広場など)内の催しとして作品展「えびすリアリズム」(元・立誠小学校)が行われる。 ■中西正男 1974年大阪府枚方市生まれ。立命館大学卒業後、デイリースポーツ社に入社。大阪報道部で芸能担当記者となり、演芸、宝塚歌劇団などを取材。2012年9月に同社を退社後、株式会社KOZOクリエイターズに所属し、芸能ジャーナリストに転身。現在、ABCテレビ「おはよう朝日です」などに出演中。