この1台に先端技術のヒントが詰まっていた…トヨタの技能者が66年前の「初代クラウン」を復元した驚きの結果
トヨタ自動車の元町工場(愛知県豊田市)の一角に、ベルトコンベアのない工場がある。そこでは1958年に販売された初代クラウンを分解し、復元しなおす「レストア」が行われている。なぜそんなことをするのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんによる連載「トヨタの人づくり」。第5回は「先端技術開発のために『レストア』を始めた理由」――。 【画像】「初代クラウン・レストア・プロジェクト」のメンバー ■なぜ「復元」のために精鋭を集めるのか 最先端現場のなかに1958年に販売された初代クラウン(ラインオフは1955年)のレストア現場を取り上げた。「昔の車を修復することのどこが最先端なのか」といぶかしげに思う人もいるかもしれない。 だが、この仕事は最先端だ。60年以上も前に販売した自社製品の修復をオーソライズされた業務にしているのはトヨタだけだ。テスラやEVメーカーはもちろんのこと、歴史のある自動車会社だって、全社から熟練作業者を集めて昔の車をレストアしようとは考えない。利益が上がる仕事ではないからだ。そこに精鋭を配置することは通常の企業経営者はやらないだろう。 だが、トヨタはレストアを通じて社員を成長させようとしている。昔の開発者が持つ智慧を今後の車両開発に生かそうとしてレストア現場に全社から集めた精鋭を投入した。 昔の車にはコンピュータはない。インターネットを活用した技術も搭載されていない。各種センサー類もない。それでもさまざまな智慧を駆使して安全を担保している。そのうえで「走る」「曲がる」「止まる」という自動車の3要素を実現している。 ■先端技術開発のヒントを見つけるため 昔の開発者は今の開発者とは違った発想と智慧で車を作っていた。 レストアに携わる社員たちは往時の開発者の智慧を学ぼうとしている。昔の開発者が何を考えていたのかを追体験して、発想力を鍛えようとしている。車にとって必要なものとは何かを考える機会にもなる。 何もなかった時代の人間の智慧は今後の新車開発で大いに役立つ。彼らはノスタルジーでレストアするのではなく、学ぶためにやっている。 初代クラウンの大きな特徴はドアが観音開きになっていることだ。観音開きとは仏壇の扉のようにドアが左右両開きになることをいう。クラウンだけでなく、かつて観音開きのドアを採用していた車は何車種かは存在した。 しかし、廃れていって、今ではほとんど採用されていない。「スーサイドドア(自殺ドア)」と呼ばれるほどで、後部座席でシートベルトをする習慣がなかった当時、乗員が車外に投げ出されるおそれがあったからだ。また、走行中に後部ドアが開いてしまうと風圧でドアを閉めることができないといった問題があった。 それでも初代クラウンの開発者、中村健也が観音開きのドアにしたのは人が乗り降りしやすかったからだ。 初代クラウンをレストアしながら、熟練の技術者は「もう一度、観音開きを採用しよう」と考えるわけではない。しかし、中村健也の思考の跡をたどり「人が乗り降りしやすい車の構造とは何か」を考える。 ここが重要だ。昔の車をレストアするメリットとは先端技術開発のヒントを見つけることができる点にある。