高度経済成長支えたニュータウン 直面する「二つの老い」からの変化
高度経済成長期の住宅難を解消するために開発された日本最大規模の「多摩ニュータウン」。東京都の多摩、稲城、八王子、町田各市にまたがり、主に京王相模原線の稲城―多摩境間に沿った東西約15キロ、南北約5キロに広がる。 【図解・写真】「100年に1度の再開発」東京の街はこんなに変わる 京王永山駅の南側には、約200棟の諏訪・永山団地が建ち並ぶ。1971年、最初に入居が始まった団地だ。ニュータウンで建物の老朽化と住民の高齢化が進むなか、「二つの老い」に直面するこの団地が生まれ変わろうとしている。 ◇「古い団地はレトロが魅力」 諏訪・永山地区の人口に占める高齢者(65歳以上)の割合は31・8%で、都内全域と比べて約9ポイント高い。地区には築50年以上の建物が多く、エレベーターもない。団地中心部の二つの商店街には約50店舗が入居できるが、下りたままのシャッターが目立つ。そんな商店街の一角で、改装工事が進む店がある。 オーナーは尺八奏者の神永大輔さん(39)。伝統的な和楽器と洋楽器を融合させたロックバンド「和楽器バンド」のメンバーだ。今春の開店を目指し、倉庫だった場所を生演奏も楽しめるカフェ兼バルに改装中で、2階に家族で暮らしている。「古い団地はレトロで魅力的」と話す。 ◇多摩エリアのハブに 大学卒業後に都内を転々とし、2021年に諏訪・永山団地に引っ越してきた。当初は仮住まいの予定だったが、妻と2人の子どもも団地での暮らしが気に入った。緑が多く、遊歩道が整備されている。外で遊んでも安全で、すぐに友達もできた。 ただ飲食店が少なく、子育て中の親や仕事帰りの会社員が立ち寄れる店がほとんどない。以前から、生演奏と食事を楽しめる場所があればと思っていた。そこでこの物件を購入し、23年10月に団地内から引っ越した。 店では、地元の才能を活用したいと考えている。かつてカフェを営んでいた人、いつか店を持ちたいと思っている人を呼び、曜日ごとにシェフを変えて異なる料理を提供する計画だ。地元の人とつながる中で、自然に着想したという。 商店街にはここ1、2年で若手デザイナーたちも入居した。「面白い人が集まる多摩エリアのハブ(中心部)になり、多摩を海外にもアピールしたい」と夢は膨らむ。 ◇建物の再編も 古い建物も生まれ変わりつつある。都営諏訪団地の大規模な建て替え事業が17年から始まった。5階建ての団地を北側(7棟310戸)と南側(20棟722戸)に分け、時期をずらしながら、入居者が仮住まいに移る必要がないように建て替える。 この事業は高齢化を逆手に取っている。閉校となった小学校と中学校の跡地に、最初に5棟(7階建て~11階建て)を建設。21年までに北側の住民が移転した。今は解体された北側の団地跡地で、5棟(9階建て~12階建て)の建設が進む。年内にも南側の住民の一部が入居する予定だ。 以前はエレベーターがなく、高齢者にとって階段の上り下りが大変だった。新団地は全てエレベーター付きで、段差を極力減らし、車椅子でも生活しやすいようにした。 ◇多摩市長「街は生き物」 玉突きのように進む団地の再編で、幹線道路沿いの土地が空く。多摩市はそこに産業、商業施設などの誘致を検討している。地元住民の雇用も生み出し、ベッドタウンという単一機能からの変貌を遂げたい考えだ。 多摩市の阿部裕行市長は「街は生き物。ニュータウンは実験都市として開発されたが、今も実験都市として住みやすい街を作るためにチャレンジを続けている」と語る。【矢野純一】