原爆の記憶を「忘れろ」と迫ったGHQ 表現規制の実態も詳しく書き残す 記憶遺産目指す大田洋子『屍の街』(下)
通訳が最初に「あなたが原子爆弾の投下の日、広島におられて、それを小説に書いていらっしゃるというそのことで、いろいろお訊ねしたいことがあって伺いました」と切り出す。外国人の方は米国の情報機関の軍曹であるらしかった。「私」は二人を仏壇のある座敷に通す。尋問のやりとりの一部を作品から抜き出す。(表記は原文のまま) 「あなたの書かれた小説の原稿というのは、あなた以外に、これまで、誰と誰とが読んでいますか」 「私が読んだだけで、東京のC社に行っています。C社の編集部のEさんが読んで手紙をくれましたから、Eさんはたしかに読んでいます」 「Eさんはどんな思想と主義を持っていますか」 「自由主義者です」 「あなたのその原稿に、原子爆弾の秘密が書かれていますか」 「いいえ。私は原子爆弾の秘密は知りません。私の書いたのは、広島という都会とそこにいた人間のうえに起こった現象だけです」
「あなたに原子爆弾の思い出を忘れていただきたいと思います。アメリカはもう二度と再び原子爆弾を使うことはないのですから、広島の出来ごとはわすれていただきたいと思います」 「わすれることはできないと思います。わすれたいと思っても、わすれない気がしています。市民としては忘れたいと思いますが、わすれるということと、書くこととは別です。遠い昔の忘れていたことをも、作家は書きます」 大田は逆にプレスコードの禁止事項に原爆が明示されていない理由や、原爆について何を書いてはいけないのかと質問するが、相手は「答える任務を持っていない」と回答を拒否する。その後のシーンは原文を引用する。 このとき、私はふいに言った。 「日本で発表できなければアメリカへプレゼントします」 私の胸に突きさすような憤りがとつぜん走ったのだった。はじめて兵士の眼のいろが動いた。かすかな哀しみのような影がさし、そしてすぐに消え、返事はなかった。