「いまは デジタル広告 の過渡期。10年後の未来を守るための行動を起こすときだ」:キヤノンマーケティングジャパン デジタルコミュニケーション企画部 部長 西田健 氏
──西田さんはマス広告も長く経験されているが、マスとデジタルの違いについてはどうか?
マス広告は広告主が出す広告内容について、当然事前審査がある。そこで、広告内容の健全性はある程度担保できる。弊社のような大手クライアントが引っかかることはほとんどないが、有名企業であっても、業界によっては出せなくなった場合もあると聞く。そのくらい、明確な審査を設けているはずだ。 一方でデジタルの世界はどうか? そもそも明確な審査機関がないうえ、出稿量もケタ違いに膨大だ。AIを活用して審査をしているなどという話しも聞くが、より多くの広告を出すために広告枠を持つプラットフォームやパブリッシャーが、ギリギリの表現やフォーマットでも許容していると感じる。
──自社の名前を使った悪質な広告をなくすため、プラットフォーマーと話し合ったと聞いた。
ある大手プラットフォーム上では、弊社の名前を騙った悪質な広告が多かったため、運営元と話し合いを行い、不正な広告を出しているアカウントについて共有した。その後、そうした悪質な広告が減ったため、運営側の対策自体は可能なのだと感じた。ただし現状をみると、すべての悪質なアカウントや広告を取り締まれていないことは明白だ。 まず、弊社のような比較的大きな広告主が発言していくこと、これが重要なのではないだろうか。 一方で、昨今のデジタル広告の混乱状況をコンテンツの面から見たとき、これまで考えてもみなかった視点を知ることができた。
──別の視点とは?
日本では多くの人が不適切な広告内容と考えるものを、欧米では「表現」のひとつだと考え、たとえばフェイク広告なども「表現におけるオマージュの一環」だと捉える感覚が一部の人たちにあるという。つまり、あくまで自己表現のひとつであり、規制すべきものではないという考えだ。現状を見る限り、それが悪質であっても、ということなのだろう。 この解釈は、文化や価値観の違いを感じさせる。日本の広告市場では「土壌を管理し綺麗にしていく」とでも言うべき思想があるが、欧米ではそれとは真逆の、プラットフォーム上は人間社会そのものを反映しているため、厳密に管理するべきではないという考えがあるのかもしれない。しかし、それはプラットフォームによっては広告主が出稿するに値するクリーンな環境ではないかもしれない、ということを意味する。それを受け入れられない広告主は、広告を取り下げるしかないというわけだ。