思想家でもあった歌人・与謝野晶子が「働く喜びは金銭には換えられない」と記すわけ
欲望は労働のエネルギー
人間の欲望は無限です。 人間は、そうした欲望をみずから選択し、それらの実現に努力する者であり、そのために何らかの労働をしないではいられない者です。欲望の実現は、労働によって初めて可能になるのです。「生活の二つの様式」(『我等何を求るか』より)(021より) 晶子はまた、「人間の欲望も、宇宙に偏在するエネルギーの一種」であると述べているそうです。エネルギーは無限ですが、私たちはできるだけ多く、自分のより高い欲望のために労働しなければならないのだと。(021より)
物質的な安定=精神的な充実
キリストがどんな意味で「貧しきものは幸いなり」と言ったか知りませんが、ある程度まで物質的生活の安定が得られなければ、決して精神的な生活の充実を得られないと思います。 人として、なるべく自己を曲げず、精神的な生活を立てられるだけの経済的生活の保証を得たいと思います。(「忍苦勤労の生」(『横濱貿易新報』一九二五年一〇二五日))(023より) 晶子の求める経済的な保証は、自分自身の勤労による報酬だそう。自分に適した、自分の好きな、自分の一生をそれに注いで悔いのないものであることですが、当時の状況下ではなかなかそうもいかなかったようです。 ともあれ、不本意な勤労であったとしても誠実に勤め、その報酬によって生活し、衣食以上の精神的な生活をも築くということは、どんな人にとっても気がねのない生き方だというのです。(023より)
なんのために働くのか
私たちは愛を売り、良心を売り、知識を売って物資の購入に充てています。 発明家は売るために発明し、労働者は賃金を得るために労働し、学生は将来的によい給料を得るために勉強し、芸術家は生活のために芸術作品を作ります。(「欲望の調節」(『心頭雑草』より)(025より) そして大多数の人は、こうした状況についてまったく疑問を抱かず、なにも恥じたり悩んだりしないほど、個性の尊厳ということを忘れているのだと指摘しています。(023より)