思想家でもあった歌人・与謝野晶子が「働く喜びは金銭には換えられない」と記すわけ
金銭は所有せず運用すべきもの
金銭は生活するための一つの手段です。各自がその手段を使って生活を営むことが理想的です。だから、平等で円滑な富の分配が望ましいものと私は考えています。 金銭は所有するものではなく、役立てるべきものです。人々が水道や電気を使用するのと同じように、金銭も必要に応じて便利に使用されるものであってほしいと思います。 水道水や電力を私用して貯蓄しようなどと誰も思わないように。一定の使用料を払えば水道や電気が使えるように、金銭も一定の労働を提供すれば必要なだけ使えるような仕組みができないでしょうかーー。 もちろん、それは理想であり、人間の心理が改革され、金銭に対する所有欲が冷めたうえでなければ実現しないとはわかっています。けれども、今よりもっと資本が教育や衛生、交通など公共の利益のために使われてほしいと思うのです。(「折々の感想」(『横濱貿易新報』一九二六年四月一一日)) 晶子がここでいう「平等で円滑な富の分配」は、いま議論されている「ベーシックインカム」を思わせると編者は述べています。ベーシックインカムは必要最低限の所得を保証する制度ですが、晶子が金銭について「必要に応じて便利に使用されるもの」と、単なる交換媒体のようにとらえた視点も興味深くはあります。(026より)
金銭に換えられない喜び
労働には金銭を目的としないものもあれば、目的とするものもあるといいます。 金銭を目的としない労働には、自己の実力を試す喜びや、自己の実力によって何らかの新しい文化価値を生み出す創造の喜び、精神を好きな仕事に集中して世間的なことを忘れ、自分の心を純粋にする喜び、身体を使って健康になる喜び、その労働の成果をもって社会に奉仕できる喜びーーといったものが備わっています。 これらの喜びの体験を楽しむことが本来的な目的であり、収入とは何の関係もありません。(「勤労主義の教育」(『優勝者となれ』より))(027より) いいかえれば、こうした労働の喜びは経済価値に換算されない人間としての価値。それは親子、夫婦、友だちの愛情や学問芸術の価値が金銭に置き換えられないのと同じであるわけです。(027より) 読みやすさを重視し、ことばや表現を変えたり順番を入れ替えたりするなどの工夫が施されているため、晶子の世界観を無理なく受け入れることができるはず。 価値観が多様化する時代だからこそ、当時からすでに時代の先を進んでいたことばの数々を、ぜひとも確認しておきたいところです。 >>Kindle unlimited、99円で2カ月読み放題キャンペーン中! 「毎日書評」をもっと読む>> 「毎日書評」をVoicyで聞く>> Source: ディスカヴァー・トゥエンティワン
印南敦史