食人の証拠か疫病の痕跡か、大量の人骨がフィジーで見つかる、19世紀の混乱の歴史に光
そして人骨は研究室へ
タブニに住んでいたのは伝統的な部族だけだったことから、発見された人骨は砦を守っていた人々に殺され、食べられた戦士のものだろうと、ラウラウ氏は言う。「肉を食べて残った骨を共同墓地に葬ったのだと思います」 ラウラウ氏によると、砦の近くには一枚岩があり、かつて戦の捕虜たちがそこで儀式的に処刑されていたという。フィジーの島々で発見された人骨の考古学的証拠は、古くから食人の習慣があったことを示している。ただしそれは、厳格な儀式のなかでのみ行われていたと考えられる。 一方ナコロ氏は、発見された人骨について、砦が燃やされる前の1875年の麻疹流行による死者のものである可能性が高いと話す。オーストラリアにあるサンシャインコースト大学の考古学者パトリック・ナン氏も同意見だ。 「19世紀、フィジーの人々は麻疹やインフルエンザへの自然免疫がありませんでした。これが、その時に大量死した人々の共同墓地であることはほぼ確実でしょう」 特に被害が大きかったのは、子どもたちだった。麻疹の起源は、5000年以上前のメソポタミアの畜牛であり、ヨーロッパ人が到達するまで、南太平洋には存在していなかった。そのため、新たにもたらされたウイルスによって多くの人々が命を落とし、生存者も病気のため体力がなく、死者を適切に埋葬することができなかったと考えられる。 ナコロ氏は、発見された人骨をナン氏の研究室に送る予定だ。科学分析によって、犠牲者の年齢、性別、死因だけでなく、いつ死んだのかについても重要なデータが得られるはずだ。骨に切り付けられた痕があれば、食人の証拠となる。病気で死んだのであれば、分子分析によって明らかになるだろう。
文=Andrew Lawler/訳=荒井ハンナ