「今日のキャッシュより、明日の夢です」年俸1億円超え→任意引退を選んだ野茂英雄26歳のメジャー挑戦 近鉄同僚投手は「絶対やってくれると思っていた」
通用するかどうか、やっぱり分からないのよ
それは、メジャーで投げた日本人の前例が皆無に近かったからだ。 「基準がないやん。だから、通用するかどうか、やっぱり分からないのよ。でも、行ったら行ったで、あの野茂が、全盛期のときの野茂みたいな感じで投げたら通用するかな、とは思ってはいたんよ。それでまず『本当に行けるんやな? 』『あ、行けたんや』という感じやったから、あとはもう『頑張れ』と、そういう感じやったよね。怪我のこともあったから、大丈夫なんかな、投げられるんかなと思ったりしていたくらいやから」
赤堀元之の証言
「野茂さんのメジャー志向は、もちろん分かっていました」と明かすのは、1994年当時、3年連続でパ・リーグのセーブ王に輝いていた赤堀元之だ。エース・野茂と守護神・赤堀は、当時の近鉄投手陣では絶対的存在だった。2歳年上の野茂は、プライベートでも行動をよく共にした、気の合う先輩でもあった。ただ山崎と同じく「野茂さんが下(二軍)にいて、僕は上(一軍)にいたんで、本当に『行く』という話は知らなかったんです」と当時の認識を明かす。噂レベルの話が一人歩きし始めた中、野茂が「メジャー挑戦」を訴えて、球団と揉めているという情報が漏れ伝わって来たという。 「野茂さんも、いろんなことを考えてやっていたと思うんです。僕はそこまでは聞いていなかった部分はあったんですが、僕らとしては『なんで行かせてくれないの? 行かせてあげたらいいじゃん』って。野茂さんの夢でもあったし、やりたいというのがあるんだったら引き留めることもないなと思いました。任意引退がどうのこうのとかは、僕らには分からないじゃないですか。『行かせてよ』と言えば、球団が『お前の夢のためだ』『行っていいよ』と言ってくれるもんだと思っていました」
やっぱり通用するんや
最終的に近鉄が折れる形で野茂のメジャー挑戦を容認。2月13日に野茂英雄はドジャースとマイナー契約を結ぶ。5月2日に待望のメジャー初登板を果たすと、6月2日には初勝利。7月にはオールスター出場も果たし、一気にMLBの檜舞台へと駆け上がっていった。 95年も近鉄で2年連続2ケタ勝利を挙げ、エース級の働きを見せていた山崎は野茂の活躍に「『やっぱり凄いわ』と思いながら見てたわ」という。 「実際、向こうに行ってやり始めたら『やっぱり通用するんや』って思ったよね。野茂って、改めて“えげつないピッチャー”やったんやなと思ったわ」 その実感は、当時のリリーフエース・赤堀も同じだったという。 「通用するとは思っていました。あの投げ方もそうだし、フォークもメジャーではなかなかないじゃないですか。僕の中では絶対やってくれると思っていました」 <つづく>
(「近鉄を過ぎ去ったトルネード」喜瀬雅則 = 文)
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