なぜ大阪女子マラでV、東京五輪代表最有力の松田瑞生は「厚底シューズ」に逆行する「薄底シューズ」で勝てたのか?
昨年9月のMGCでは大本命とみられながらまさかの4位に倒れた。五輪切符を確定させた前田穂南、鈴木亜由子に遅れを取った。わずかに可能性を残したものの、レース後は落胆のあまり、人目をはばからず号泣した。 「もうこれ以上何をすればいいのか」 だが「なにわの腹筋女王」と呼ばれるほど、努力を怠らない松田は、家族にも支えられ立ち上がった。 「自転車に乗ったお姉ちゃんとジョグしているとき、”走るの、楽しい”と思えた。それが大きかった」 母・明美さんによると切り替えの早さと反骨心が松田の持ち味。 「家に帰って来たときはボロボロ状態。しばらくして、走りたそうやったから声掛けたんです。日本記録を目指しいや。”再起不能になるぐらいやったらええやん”って」 母に叱咤され松田は大阪での再挑戦を決意する。 この日は、母が、ひじき入りのおにぎりを用意。明美さんは「勝ち飯。おにぎりを握ったかいがあった」とゴール後、娘と抱き合い、帰り際に「これで北海道に行ける。オリンピック選手の母親になれそう」と笑った。 もちろん、再スタートに向けて、MGCの敗因をしっかりと見つめ直した。浮かび上がったのは2点。レースに臨むにあたっての思考の柔軟性と調整方法だ。山中美和子監督は「MGCではスローペースになると決めつけすぎていた。なので絶対にこうなるという考え方を改めた。それと調整による疲れも残っていたと思うので、いままでのメニューをいかしながら原点に立ち返った」 今回は米国アルバカーキでの高地トレで月間1300キロという過去最高の練習量をこなす一方で、疲労を残さないように十分ケア。「だらっとしないように」(山中監督)と、スピード練習にも比重を置いた。 この日、出場したメンバーには2時間20分~21分台の記録を持つ外国人勢が4人おり、松田も「レース前は、その人たちを前に見ながら走ると思ってました。途中からは”いつ来るんやろ、まだ来うへん”と思った」と言いつつ「ならば自分の走りをするしかない」と想定外のことにも柔軟に対応。スタートから終始リラックスして走る松田を見て山中監督は「いいフォームといいリズム。うまくハマった。これなら”行ける”と思った」と自信を深めたという。 伝説のシューズ職人のサポートも見逃せない。この日の走りを支えたのはニューバランス社製の「薄底シューズ」だ。これまで有森裕子、高橋尚子、野口みずきらの“五輪メダルシューズ“を手掛けて来たシューズ作りの名人、三村仁司氏が作ったオーダーメイドの特注品。あえて、男子長距離界を席巻しているソールにカーボンが入ったナイキ社の「厚底シューズ」は履かなかった。むしろ、対照的に究極の軽さとフィット感を求めた薄底シューズである。勝負シューズは、23日に届けられたが、試走した際に、注文を受けた。