「やっぱり来てくれた」その女の子はにぃっと笑って…〝5分後に取り残される〟超短編ホラーの結末
ホラー作家・梨氏がセレクトした5分で読んだ者を恐怖へと突き落とす超短編ホラー小説集『5分後に取り残されるラスト』が10月29日に刊行された。同書は小説創作プラットフォーム『エブリスタ』と河出書房新社が刊行している5分で心を動かす超短編小説集シリーズの新刊。同書より、せなね氏作『泣いている女の子』を紹介する後編だ。 【恐怖】真夜中の道路で泣いていた女の子はお下げ髪に赤いワンピース姿で…… ある日、仕事先から帰る電車で寝過ごして見知らぬ無人駅に1人取り残されてしまったAさん。奇跡的に1台のタクシーを拾うことができた。人懐こそうな50歳前後の運転手によると、このあたりには夜中に「出る」ことで有名な場所なので、普段は絶対にこの近辺を通らないようにしているのだという。そしてそんな話をしていた矢先にタクシーの前に現れたのは、道路脇の木の下にしゃがみこんで泣いている7歳ぐらいの女の子だった。Aさんは運転手の制止を振り切って車から降りてしまう。Aさんには泣いている女の子を見捨てるわけにはいかない理由があったのだ──。 【前編】真夜中の田舎道で迷った男が見てしまった「もの」とは…ホラー超短編集『5分後に取り残されるラスト』 ◆学校の屋上から飛び降りた妹 Aさんには、一つ下の妹がいた。 彼女は少々気が弱く、肥満気味であった。そのせいもあってか、妹はよくイジメられていた。 妹とは対照的に活発で気の強い性格であったAさんは、そんな彼女のことをいつも守っていた。男子が数人掛かりで妹を囲い込んで酷い言葉を浴びせているのを見ると、相手が何人いようが突っ込んで行った。Aさんは喧嘩が強く、負けたことがなかった。相手を蹴散らすと、Aさんは泣きじゃくっている妹にツカツカと歩み寄り、その頭を軽く撫でてやった。 「泣くな! お前がそんなんだからいつもイジメられるんだぞ! しっかりしろ!」 Aさんなりの愛情であり、励ましだった。 妹はひとしきり泣いた後、 「いつもごめんね、お兄ちゃん」 そう言って、謝る必要がないことを謝った。Aさんは笑って頭を撫でてやる。そして、二人で帰る。それが、Aさんと妹のルーティンであった。 Aさんは、そんな生活がずっと続くと思っていた。 時が経(た)ち、やがて二人は中学生になった。 Aさんは野球部に入り、部活漬けの日々を送っていた。 妹は中学に上がる頃にはすっかりスリムな身体になり、Aさんの同級生から羨ましがられる程の美人になった。男子からイジメられることはなくなったが、その代わり、告白されることが増えた。そのことに多少ジェラシーのようなものを感じてはいたものの、Aさんは、もう妹のことに関しては安心しきっていた。 妹が、泣いているところを見なくなったから。 もうアイツは大丈夫。 Aさんは白球を追いかける日々を過ごした。レギュラーになり、全国大会に出場すること。それが、Aさんのすべてになった。 しかし── ある日、妹は学校の屋上から飛び降りた。 理由はイジメだった。相手は同性のグループ。そのグループの中心にいる女子が想いを寄せていた男子がAさんの妹のことを好きになってしまい、それが理由で逆恨みされたらしい。 Aさんは愕然とした。 ◆妹は俺が殺してしまった ──自分はちゃんと、妹のことを見ていたはずなのに。 しかし、すぐに心の中で否定の声が上がる。 ──本当にそうか? 俺は部活のことばかりで、ろくに妹のことを見ていなかったじゃないか? ──妹が、泣いていなかったから。 それだけのことで、俺は妹のことを勝手に大丈夫だと思い込んでいたんだ── それから後のことは、よく憶えていない。 妹の葬儀には学校中の生徒がやって来た。妹のことなど知らないであろう生徒がわんわん泣いているのを見て醒めた気持ちになったこと、加害者とその親が土下座した時に殺してやろうとして親と親族に止められたこと。それらがまるで夢の中の出来事であるかのように、Aさんの記憶の中に薄らぼんやりと残っている。 だが、その当時のことで一つだけ強烈に憶えていることがある。 それは、妹の遺書の中にあった、Aさんに宛てた言葉であった。 ──これ以上、お兄ちゃんに心配をかけたくなかった。 これ以上ってなんだよ、とAさんは叫んだ。妹を心配することに、これ以上も何もあるものかよ。辛いことがあったのなら、俺に相談すれば良かったんだ。昔みたいに、そんな奴ら俺が蹴散らしてやったのに。お前が、昔みたいに泣いて俺のことを呼んでくれていれば── 『泣くな! お前がそんなんだからいつもイジメられるんだぞ! しっかりしろ!』 昔、いつも妹に言っていた言葉を思い出す。その瞬間、悟った。 ──全部、俺のせいだったんだ。 泣いて誰かに助けを求めるという、ごく自然な逃げ道を潰してしまったのは、他ならぬ俺だったんだ。 俺が殺した。 妹は、俺が殺してしまったんだ。 ※ それからのAさんは抜け殻のように生きた。 あれ程打ち込んでいた野球は、妹が亡くなった日に辞めてしまった。道具はすべて捨てた。あの日以降、Aさんは一度たりとも野球をしていない。 進路に関しても同様だった。周囲の反対を押し切り、決めていた進路を蹴った。そして高校には進学せず、そのまま実家を出て就職した。いくつもの仕事を転々とした結果、初めて正社員として腰を据えたのが現在の営業職であった。そのことに喜びも何もなかった。自分の人生も、自分の命も心底どうでもよかった。ただ何となく生きているだけ。 ──俺は、人生で絶対に間違えてはいけないところで、間違えてしまったんだ。 妹が亡くなって以降、Aさんの人生というのは消化試合のようなものであった。何をやっても何を見ても心が動かない。しかし── 三つ編みの女の子の泣き顔を見た瞬間、Aさんの心は大きく動いたのだった。 ◆女の子はにぃっと笑った 「大丈夫?」 女の子の側に立つ。彼女は俯いたままの恰好で動かない。その肩に手を置こうとした瞬間、スッと女の子は立ち上がり、 ──やっぱり、来てくれた。 そう言って、にぃっと笑った。 もう、泣いてなどいなかった。 子どもの笑みではなかった。顔の作りは幼いのに、内面の魂は成熟している。内と外で大いなる齟齬を感じる。そんな、違和感を抱かせるような笑み。 Aさんは肩に触れようとした手を宙に浮かせたまま、固まった。 自分はまた間違えてしまったのだ、と悟った。 手がゆっくりと下がる。不思議と恐怖はなかった。諦めよりも安堵の気持ちがゆっくりと心の中に広がっていく。自分は早く『こう』なりたかったのだと、遅まきながら気がついた。 ──これでいいじゃないか。 Aさんはほんの少しだけ笑った。 泣いている女の子を『また』見捨てるくらいなら、死んだ方がマシだ。 Aさんの目の前で、女の子はゆっくりと手を上げる。そして── 背後を指差した。 その動きにつられ、振り返る。 瞬間、Aさんは短い悲鳴を上げて仰け反った。 タクシーのリアウィンドウ、そこに無数の顔があり、全員がAさんのことを憎々しげに睨みつけていたのだ。 その中には、タクシーの運転手の顔もあった。先程までの人懐っこい笑みは何処にもなく、あるのは憎悪の塊としか表現出来ない地獄のような面相だった。 「あなたの妹さんが、私に教えてくれたんだよ」 その言葉に、Aさんは恐怖を忘れ、弾(はじ)かれたように振り返った。 「お兄ちゃんが『良くないもの』に連れて行かれそうになっているから、助けてあげてって。私は、その声を聞いたの」 Aさんは言葉を発することが出来なかった。その代わり、涙が一筋、頬を伝った。 「これに懲りたら、もうこんな道を夜中に一人で歩いちゃダメだよ? 『怖いもの』に遭うからね」 「キミは、一体……」 女の子はAさんの質問に答えなかった。代わりに、彼の目をひたと見据える。 そして、笑った。 「「バイバイ」」 一瞬、妹の声が重なったような気がした。 がちり、と金具が噛み合うような音がすると、次の瞬間には、何もかもが消えていた。 そこには真っ暗な田舎の畦道があるだけで、女の子の姿も、タクシーの姿もなかった。 Aさんはその場に立ち尽くした。 どれくらい時間が経ったろう。ふと、彼が隣を見やると、そこには一体のお地蔵様が祀られていた。 顔立ちが、あの女の子に似ている気がした。 Aさんはその場にくずおれると、夜が明けるまで泣いたそうだ。 (せなね著「泣いている女の子」より後半部分抜粋/梨編著『5分後に取り残されるラスト』河出書房新社より) いかがだっただろうか。Aさんの体験は一見、話として筋が通っているように見えてしまうが、冷静になって考えてみると、おかしなことだらけだと気づくのではないだろうか。それはいつもの常識的な物の見方をしていれば、決してのみ込まれることのないものだ。だが、一歩、また一歩とその世界へ足を踏み入れていってしまって、ふと気づいたときには取り返しのつかない場所に来てしまっている。そうなってしまったとき、あなたはもう〝取り残されて〟いるのだ。 『5分後に取り残されるラスト』(梨・編著/河出書房新社) プロローグ全文公開
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