70歳おめでとう! 永遠のアイコンアメリカンスポーツカー「シボレー コルベット」ケンタッキーにある博物館を訪問
「コルベット」のボディが70年間もFRP製であるということは、もはや伝統と言っていいだろう。量産車のボディにFRPを用いた最初で最後のメーカーでもある。しかし、内部文書によると、当初から金属ボディに変更するというプランはあり、1954年以降スチールボディになる予定であったと記されている。だが、コルベットのデザインスケッチを再現するには、またコスト面でもFRPを使用することがベストであった。スチールボディだったら、この2023年に記念すべき年を迎えることはなかっただろう。
ゾーラ アーカス=ダントフがいなければ、コルベットは存在しなかった
ゾーラ アーカス=ダントフという人物が1953年にシボレーで働き始めていなかったら、「コルベット」はおそらくアメリカの自動車史の片隅で端役を演ずる売れない役者に過ぎなかっただろう。デザインの第一人者ハーレー アールとチーフエンジニアのエド コールがこのプロジェクトの推進者であったが、1950年代末に「コルベット」がポルシェ、ジャガー、フェラーリと並んでレース場のピットレーンに立つことを確実にしたのはアーカス ダントフであった。物足りない”ブルーフレーム”6気筒エンジンはパワフルなV型8気筒に置き換えられ、シャシーとエアロダイナミクスに手が加えられたことで、“ヴェット”はクルーザーからリアルスポーツカーへと変貌を遂げた。
「コルベット」のもう一人の救世主が「フォード サンダーバード」である。というのも、初代「コルベット」デビューの2年後に、シボレーが目標にしていた販売台数を「T-Bird」が先に達成したおかげで、マーケットの存在を確信することができたGMのボスは、迷わず「ヴェット」の開発を継続したのだ。
世代と世代の間には常にコンセプトカーがある
アメリカのスポーツカー「コルベット」が生き残りを賭けた最初の戦いの後を、ゲストたちは時代を経て進んで行く。個々のモデルシリーズは、愛情を込めてデザインされたディスプレイで展示され、キュレーターはその間に何度も見どころを教えてくれる。例えば、ビル ミッチェル率いるデザインチームのラリー シノダのペンによるコンセプトカー「マコ シャーク(青鮫)」など。ミッチェル自身、1958年末に引退したハーレー アールの後を継いでデザイン責任者に就任した。 展示のモータースポーツセクションは、来場者をスカイドームへと導き、殿堂入りを果たしたメンバーが、博物館の歴史に残る特別なモデルとともに壁に刻まれている。博物館では毎年、「コルベット」の伝説にふさわしい3人を表彰している。 いよいよ、最後の特別展示に向かう。主にハリウッド映画のフィルムカーをデザインしたカール キャスパーの作品は、年末までここに展示される。