生後9ヶ月で高熱が続き、その後痙攣が…「これ以上病気で苦しむ人やお子さんが少なくなってほしい」後遺症が残るなかで4歳となった息子への母の思いとは
奥村彩(@aya09090918)さんには3人のお子さんがいます。3人目の息子さんは、痙攣重積型ニ相性急性脳症により後遺症が残りました。Instagramでは、息子さんの様子や発達・育児などについて発信しています。 【写真3枚】急性脳症により後遺症を負った息子さん(@aya09090918さんより提供) 今回は、奥村さんに息子さんの病気や現在の活動などについて話を聞きました。
熱性けいれん発症当時、現在について
息子さんが初めて熱を出したのは生後9ヶ月のとき。病院へ行って薬をもらい帰宅しましたが、高熱が続きぐったりしていました。目が合わず、ぼーっとしているような状態だったといいます。 その後痙攣が始まり、救急車で病院へ搬送されることに。しかし、救急車の中で体が波を打ち泡を吐いてしまいます。医師から告げられた病名は「痙攣重積型ニ相性急性脳症」でした。 痙攣重積型ニ相性急性脳症とは、突発性発疹やインフルエンザなどの感染症を契機に、けいれんと脳の傷害をおこす、日本で見つかった病気です。小児の感染に伴う急性脳症のうち、日本では最も頻度の高い型(急性脳症全体の34%を占める)です。 病名を告げられてからも何度も何度も痙攣が起こりました。 そして、医師から告げられていた通り後遺症が現れ始めます。息子さんは、身体不自由・知的の遅れ・発達ゆっくり・睡眠障害といった後遺症が成長とともみられました。 発症してからは、理学療法(PT)、作業療法(OT)、心理療法を行っているのだそうです。
発症から現在までについて
息子さんに後遺症が残ると告げられたとき、奥村さんは「どうして息子なんだろうと、考えてもしょうがいないことをずっと考え続けていました」といいます。 倒れてから1年後、息子さんは歩けるように。医師からは、歩けるかどうかは本人次第と言われていました。歩いた姿を見た奥村さんは、本当にびっくりしたのと同時に、涙が溢れ出ました。 奥村さんは、息子さんの障がいを受け入れるまでにたくさんの葛藤があったといいます。奥村さんが今の気持ちについて「同じ歳の子と一緒にいると、病気になっていなかったらこんなに成長していたんだなぁと思うことがありますが、息子が病気にならなければ健康の大切さをこんなにも感じられることはありませんでした。息子のおかげで知らなかった世界を知ることができ、とても感謝しています」と話しました。 奥村さんが前向きな気持ちをもつきっかけになったのは、本と自然療法だったそうです。