リック・オウエンスが語る、不寛容な力と戦うための美学【2025年春夏コレクション】
6月20日(現地時間)、パリ・ファッションウィークでリックオウエンスの最新コレクションが発表された。200人のモデルが起用されたランウェイショーの舞台裏を、リック・オウエンスへのインタビューとともにお届けする。 【写真54枚】リックオウエンス2025年春夏コレクションの全ルックおよび舞台裏イメージを見る リック・オウエンスは大勢のモデルたちを前に立っていた。彼は私に「一緒に歩きましょう」と言った。 6月20日木曜日の朝(現地時間)、パリ・ファッションウィークでリックオウエンスのショーが開催される直前のことだった。私たちがいたパレ・ド・トーキョーのバックステージは、いつもよりずっと混雑していた。今シーズン、彼は200人のモデルを起用した。クリーム色のガーゼに尖った肩、『スター・ウォーズ』や『DUNE/デューン 砂の惑星』を思い起こさせる奇妙なヘッドウェアが特徴的だ。オウエンスは、かっちりとしたレザーのフードで頭を覆った、鳥のような格好をしたモデルの前で立ち止まり、彼女に話しかけた。 「学生さんですか?」 「いえ、でもあなたの大ファンなんです」と、彼女は感情をほとばしらせるようにして答えた。「あなたは、素晴らしいアイコン。私のいちばん好きなデザイナーです」 オウエンスは、スポーティな黒い老眼鏡の向こうに彼女を見つめた。爪が黒く塗られた指で、彼は彼女の首回りのボタンを留めながら微笑んで言った。「まあ、それが正しい答えというものでしょう」 リック・オウエンスのショーはいつも野外ロックコンサートのようだ。黒服に身を包んだ彼の信奉者たちが、彼らが崇めるファッションの神様とその華々しい演出を一目見ようと、何時間も前からゲートの外に列を作っていた。しかし、今年1月のショーは趣が違った。私たちが生きている「野蛮な時代」を理由に、オウエンスはいつものパレ・ド・トーキョーから、妻ミシェル・ラミーと同居するパリの自宅にショーの会場を移したのだ。「お祭りのような雰囲気は、今この瞬間に相応しくないと思ったのです」と、彼は当時私に語っていた。 しかしオウエンスは、よりエクスクルーシブな規模に縮小することで彼のコミュニティが排除されてしまったことに罪悪感を感じていたという。「この間違いを正さねばと思いました。しかし、どうしたら? ショーに全員を招待すればいい!」。オウエンスのキャリアのなかでも最も忘れがたいスペクタクルになるに違いないショーの約45分前、彼はまだスタイリングの最終チェックが済んでいない何人ものモデルを探し回った。「ついさっきも、音楽をよりハードなものにしてほしいと頼んだばかりです」と、彼は激しいテクノが鳴り響くなか話した。 ランウェイに登場することになる、それぞれ20人のモデルからなる10のルックは、様々な色調のクリーム色に彩られていた(彼の典型的なダークなパレットでは不気味すぎるとオウエンスは考えたのだ)。バックステージにいた我々は、軽やかなシフォンのケープ、フード付きのバイカージャケット、ゴールドのコーティングが施されたデニム、吸血鬼を思わせるシルキーなコートや修道僧のようなローブ、蜘蛛の巣のようなニットのボディスーツに囲まれた。「どのような体型にも対応できるようにするにはどうしたらいいか、それでいてリック・オウエンスらしさを出すにはどうしたらいいかを考えるのが課題でした」と、彼はショーの後で語った。 「学生さんですか」と、彼は別のフード姿の人物に尋ねた。童顔のそのモデルは、見た目よりも少し緊張した声で、フランスモード研究所(IFM)に通っていると答えた。「IFMを訪れたことはなくてね。いつかは行かなくては。失礼、ちょっと乱暴にしますよ」。そう言って、オウエンスは両手でフードをつかみ、モデルの鎖骨のあたりにくしゃっと押しつけた。 ■オウエンスを作ったハリウッド コレクションのタイトルは「HOLLYWOOD(ハリウッド)」。カリフォルニア州の田舎町ポータービルに住んでいたリチャード・オウエンスが、“リック・オウエンス”として再出発した場所である。近年、彼のショーが自伝的になってきていることに私は気づいた。「PORTERVILLE(ポータービル)」と銘打たれた1月のショーは、彼の故郷に対する嫌悪が込められた叙情詩のようなものだった。 「その通り」と、彼は言う。「ファッション界が進化し、自分だけの声を持つことがいかに難しくなってきているかを目の当たりにすればするほど、それが私たちの強みなのだと実感します。委員会による決定ではなく、ワンマンショーであるというブランドの強みを、私は強調し、祝福します。パーソナルに感じられるということが、人々が私に惹かれる理由ではないでしょうか。彼らはそれが、戦略や計算からくるものではないと知っているのです。いや、“偽り”という言葉でもいいかな?」 オウエンスは、アールデコ調の中庭を整然と行進するモデルたちの隊列を準備している。白黒映画時代のパイオニア、セシル・B・デミル監督による1934年の映画『クレオパトラ』に登場する主人公のローマ入城シーンの彼なりの解釈だという。「もう何度も観ていますが、あの映画は非常に豪奢なんです。ファブリックが流れるさまも、こんなファブリックはもう作られていないというのがわかるほどです。とにかく豪華、豪華、豪華。それがポータービルで描いた私の空想であり、私が行き着きたかった場所でした」。デミルの「身の毛もよだつ罪」と「道徳的救済」の寓話に突き動かされ、オウエンスはハリウッド大通りの外れでいかがわしい暮らしを始めることになった。 「私はそこで今の自分を創り上げました」と、彼は言う。「ハリウッドというのは、本当にルー・リードの『ワイルド・サイドを歩け』のような光景と華やかさ、淫靡さがミックスされたところなんです。ハリウッドは私が私になった場所。私はただ退廃的で享楽的な生活に飛び込みました。私の少年時代は非常に閉鎖的でしたからね。ただ“生きたい!”と思ったんですよ」。このショーは「ハリウッド大通りとセシル・B・デミルを同時に見ることができる」ものだという。「美とは痛みです」と言いながら、彼はその言葉を証明するかのようにモデルの首元を強く締め付けた。 ■寛容さを広めたい キャストはリック・オウエンスの熱狂的なファンばかりのためか、彼が最後の調整のために近づくと、多くのモデルが軽く震え始めた。「美しい!」と、オウエンスはひとりのルックを見て言った。「ありがとうございます」とモデルが答えると、彼は「いや、それを言うのは私のほうだ」と返した。ひとりの男性がフランス語でオウエンスに質問すると、彼は「フランス語はできなくてね。でもありがとう! 私たちのために来てくれてありがとう」と答えた。 パリに2003年に移ってきたオウエンスは、「実はフランス語を勉強しているんです」と教えてくれた。クリスマスの頃に始めたという。「自分がどれだけ記憶力が悪いか、びっくりさせられますよ。ちょっと屈辱的ですが、フランス語をマスターする必要はない、何かを学ぶ訓練のようなものだと自分に言い聞かせています」。別のモデルは、友人に写真を撮ってもらおうと、オウエンスに服の襟を整えるふりをしてほしいと頼んだ。「もちろん!」と応じた彼は、この瞬間を大いに楽しんでいるようだった。 私はオウエンスに、今回のファッションウィークに共通して見られるテーマがここでも見られると伝えた。間近に迫ったパリオリンピックである。このショーはリック・オウエンスにとっての開会式なのだろうか? 「私の頭の片隅にもあり、相応しいテーマに思えました」と、彼は言う。“リック・オウエンス共和国”の旗は、彼が「体操選手のブーケ」と呼ぶものの上にはためいていた。8人の屈強な男性によってランウェイ上を運ばれるこの構造体には3人のダンサーが乗っており、互いに強く握りしめた2本の腕が描かれた旗をひとりが掲げていた(この腕はオウエンスと彼の友人のものである)。 もちろん、このような場面において危機は付き物だ。ゲストが外に集まってきたのと同じ頃合いで、ひとりのモデルがオウエンスの肩を叩いた。どうしたのかと彼が尋ねると、モデルはシフォンのフードに付いてしまったひと筋のメークアップの跡を指差した。「これは我慢するしかない」とオウエンスは言い、次に進んだ。 モデルたちの隊列がスタンバイ位置に送り込まれ始めるのを、オウエンスは自身が創り出した混沌のなかで満足そうな様子で眺めた。「これは共有と団結についての物語です」と、彼は残り数人のフードを確認しながら言った。「私たちが生きているこの時代、地球上で最大の問題は不寛容であり、それがすべての戦争の原因となっています。それは、人間存在に栄光をもたらすものでもあり、恐怖でもあります。しかし私のような人間は、必ずしもスタンダードではない美学を広めることによって、ある種の寛容さを広めたり、奨励したりすることができます。私の役割は、寛容さを促進する勢力の一部となること。不寛容を促進するもう一つの勢力とは、永遠に絶え間ない戦いが繰り広げられるでしょう。でも今のところ、私たちはまだここにいます」。 彼は笑って言った。「まだ核攻撃は受けてません」 オウエンスは最後のフードのスナップを固定し、モデルの頭の周りに完璧なシルエットができるように両手でレザーを押し潰した。そうして彼は彼女の肩を叩き、「よし!」と言い、こう叫んだ。「楽しんで!」 From GQ.COM by Samuel Hine Translated and Adapted by Yuzuru Todayama