浅田 彰「私が見てきた昭和――熱い60年代、冷めた70年代、そしてニューアカブーム」
モダンを突き破る「太陽の塔」
この丹下組のスーパーモダンな情報環境を、プレモダンな土偶のポストモダンな巨大パロディとも言うべき「太陽の塔」で突き破ってみせたのが、岡本太郎でした。大屋根に穴を開けることについて、太郎と丹下が取っ組み合いの喧嘩をしたという挿話が喧伝されたこともありましたが、実は、太郎にシンボルを頼もうと言い出したのは、自らの設計した東京都旧都庁舎に太郎の壁画を取り入れた丹下らしいんですね。 そもそも太郎は、1930年代はずっとパリで暮らし、37年パリ万博のあとシャイヨー宮に開館した人類博物館でマルセル・モースの講義も聴講しています。それで、「太陽の塔」のコンセプト作りにあたっては、「人類の進歩と調和」という万博テーマを真っ向から否定するかのように、塔の地下にプリミティヴな仮面や土偶を展示してみせた。東京大学教授の泉靖一と京都大学助教授の梅棹忠夫を中心とした人類学者チームを世界中に派遣して収拾した民族資料は、そこではとても収まりきらず、その後、万博記念公園に建てられた国立民族学博物館(74年創設、77年開館)に収められます。実際に博物館を造ったのは初代館長となる梅棹ですが、万博のレガシーとして民博ができた、その源泉には太郎のアイディアがあったんじゃないでしょうか。 (『中央公論』1月号では、この後も1970年代の「暗さ」、ニュー・アカデミズムの80年代、現在にも見られる「昭和的なもの」について詳しく論じている。) 構成:柳瀬 徹 浅田 彰(京都芸術大学教授) 〔あさだあきら〕 1957年兵庫県生まれ。京都大学経済学部卒業。京都大学人文科学研究所助手、同大学経済研究所准教授などを経て、現職。『構造と力』『逃走論』『ヘルメスの音楽』など著書多数。