能登、願う「普通」の新年 仮設でそばかみしめ 大みそかの被災地ルポ
温かな一杯の年越しそばに、被災者は日常のありがたみをかみしめた。大みそかの31日、能登半島地震で甚大な被害を受けた輪島市の仮設住宅で、ボランティアができたてを振る舞ったのだ。「ぜいたくは言わん。いつも通りの普通の年であれば」。被災者たちは年の瀬まで続く支援に感謝しながら、つらいことの多かった1年を振り返り、「来る年」にささやかな願いを託した。(元輪島総局長、社会部・中出一嗣) 鉛色の空が広がり、時折、激しい雨が打ちつける。せわしなく動き続ける重機も、この日ばかりは止まっていた。「新年を祝う気持ちにはなれん」と住民が口をそろえる。正月飾りが取り付けられた店や家はわずかだ。 そんな中、杉平町の仮設住宅団地の集会所を訪ねると、だしの香りが漂い、にぎやかな声が響いていた。6人掛けテーブルで住民が肩を寄せ合い、そばをすする。近くの仮設で暮らす酒谷道子さん(81)は顔なじみとなったボランティアと会話を弾ませ「気の毒な。今年はそばを食べられんと思っとった」と感謝した。 取材中、「兄ちゃんも一緒に食べね」と声を掛けてくれたのは、友人といた谷内澄栄さん(67)。「地震までは4人で暮らしてたんやけどね。1人になってしまった」と表情を曇らせる。地震の1カ月前に長男家族と同居を始めたばかりだったが、家は倒壊し、家族と離れ離れになった。谷内さんは「みんなで食べるとおいしい。ありがたいね」としみじみ語った。 「母ちゃんのように、うまくはいかんな」。9月の豪雨で浸水被害を受けた仮設住宅を訪ねると、地震で妻を亡くした森下政則さん(85)が煮物をこしらえていた。浸水の修繕が終わり、再入居できたのは最近のこと。鏡餅もないこぢんまりとした部屋で「普通の年が1番や」とつぶやいた。 市内では31日時点で161人が避難所に身を寄せる。避難所の一つ、輪島中体育館では、被災者が紅白歌合戦に見入っていた。坂本冬美さんが輪島の特設会場で歌う「能登はいらんかいね」を聴くためだ。優しい歌声がテレビから響くと、お年寄りたちは涙を浮かべて拍手を送った。 年末、杉平町の仮設集会所には住民が「2025年の漢字」を書いた色紙が飾られた。光、幸、楽、喜…穏やかな年を願う文字ばかりなのが印象的だった。