「自分の横断幕を大津に作られたい」。鹿島DF濃野公人、今につながる部活、高校サッカー
2024シーズン、関西学院大からの大卒新人として鹿島アントラーズに加入したDF濃野公人。サイドバックながらJ1リーグ戦31試合に出場し9 得点を挙げ、Jリーグベストイレブンに選出された。大卒ルーキーのベストイレブン選出は三笘薫(ブライトン)以来、4年ぶりの快挙である。 高校サッカー 2025年Jリーグクラブ内定選手一覧 そんな濃野は熊本の名門・大津高の部活出身選手。母校が出場する全国高校サッカー選手権大会の開幕を前に、高校時代の話を聞いた。(聞き手・文:川端暁彦)
高校1年生で経験したかなり大きな挫折
――29日から全国高校サッカー選手権大会が始まります。今回は、濃野選手に高校時代を振り返っていただければと思います。まずは、そもそも大津を選んだ理由から教えていただけますか。 二つ上の兄が大津に通っていたので、その影響が大きかったですね。実際に試合とか練習とかも観に行かせてもらっていました。そこで大津のグラウンドで100人以上の部員が練習している光景を観て、シンプルに『かっこいいな!』と思ったのが一番の理由です。 ――熱い練習だったんですか。 はい、Aチームから下のチームまで練習しているんですけれど、どれが強いチームなのかパッと観ただけではわからないくらいの熱気で練習していたんです。それがかなり衝撃的で、『自分もここで揉まれて強くなりたい』と素直に思えました。 ――佐賀県の親元を離れて行くのは勇気も要りますよね? 兄もそうやって生活していたので、そこは迷う要素じゃなかったですね。自分はサガン鳥栖U-15を途中で辞めて、VALENTIA FCというチームでプレーしていました。いろいろな人から『鳥栖にいたという肩書きを捨てて大津に行くというのは、プラスからのスタートじゃなくてゼロからのスタートになるぞ』と言われていました。でも、自分としては別にプラスからスタートしたわけでもなくて、厳しい競争があるのもわかっていましたから。 ――自分のことを知っている人だらけの佐賀をむしろ離れて挑戦したいという気持ちだったんですか。 ただ、1年生のときは本当にダメダメでしたね。人生でかなり大きな挫折でした。1年生チームでも試合に出られないような状況でしたし、先生からも期待されていないような感覚でした。でも、そこを乗り越えて、高校3年間で乗り越えられたのは、本当に自分の財産になっています。1年生のときはスタンドから眺めるばかりだったのが、3年生では10番つけてキャプテンマークをつけられるところまで持って行けたのは本当に大きかったです。 ――おそらく2年生の1年間で大きな変化があったのかなと思うのですが。心境の変化とか? 変わりましたね。試合に出られればという感覚じゃなくて、試合に出て結果を出すことを追い求めるようになりました。試合に出て何をするんだ、結果を出すためにはどうするんだということを意識するようになったら、結果も付いてくるようになりました。そうすることで、平岡先生(平岡和徳、当時監督、現テクニカルアドバイザー)の目に止まる機会も増えてきて、(Aチームでの)チャンスも来るようになりました。 ――たくさんいる部員の中に埋没しかねないところから、結果を積み上げることで打開した感覚でしょうか。 150人か160人くらいの部員がいたので、当然ですけど平岡先生も全員をずっと見ていられるわけじゃないと思うんです。だからそこで『おっ?』と思わせるプレーを出し続けないといけない。そこは本当に意識していました。 ――2年生で選手権に出られたのはその集大成というか、結果ですよね。 あのときに選手権に出られなかったら、人生で一度も出られなかったので、本当に大きな財産でした。やっぱりあんな大観衆でプレーする機会なんてないですし、ものすごく楽しかったのを今でも覚えています。