クリスマスを心待ちにしていた最愛の息子…事故で失った両親独白「被害者遺族だからこそ」札幌市
最愛の息子を失ったあの日から、家族の時計は止まったまま。 残された2人の兄弟のためにも日常を変えないように意識していますが、悲しみが癒えることはありません。 (西田倖さんの母親)「私がキッチンでご飯を作っている間に、座って(宿題を)やったりすることが多かった。夕方5時から6時7時とかの時間は、結構2人でいることが多かったかもしれない。だから今、夕方はすごい静かです。こんな静かだったかなみたいな」
東京で単身赴任をしている西田さん。 毎日遅くまで会社に残り、仕事一筋の毎日でしたが、生活は一変します。 (西田倖さんの父親 西田圭さん)「仕事をしている間でも、頭の中では倖が出てくるというか。そんな状況なので、どっちが優先順位が高いかというと、やっぱり倖と残された私たち家族に対する時間なので。倖と、あとは私たち残された家族のために時間を費やしていく、その割合が増えていくかなと思います」
「生きているパパは僕の代わりにみんなに伝えて」
この先の人生を倖さんにささげると決意した西田さん。 息子の思いを届けるため、講演活動を始めました。 (講演・西田圭さん)「病院で出会った倖は冷たく、顔や手などのいたるところに大きな擦り傷を負っていました。私は何度も何度も倖を抱きしめながら「こんな思いをさせて本当にごめんな、痛かったな、苦しかったな、怖かったな」とずっと謝り続けていました。ひと言で言うのであれば、今この瞬間も本当に愛おしくてたまらない、抱きしめたい、そう思ってやみません」
西田さんは、持病や薬の影響で事故が起きない社会にしたいと訴えます。 (講演・西田圭さん)「息子を突然失ってしまってから、私はどのように生きていけばよいのか全くわからない状態になりました。その状況の中で、なぜ私が今この場に立っているかというと、亡くなった倖が私に「僕と同じ思いをしないように、生きているパパは僕の代わりにみんなに伝えて」と、息子がそう言っているように思えてならないためです。私と大好きな息子・倖からのメッセージとさせていただきます。ご清聴ありがとうございました」