「日本人」は「60歳」を「死に時」に設定するのが良い…納得のそのワケ
日本は今、「人生100年」と言われる長寿国になりましたが、その百年間をずっと幸せに生きることは、必ずしも容易ではありません。人生には、さまざまな困難が待ち受けています。 【写真】じつはこんなに高い…「うつ」になる「65歳以上の高齢者」の「衝撃の割合」 『人はどう悩むのか』(講談社現代新書)では、各ライフステージに潜む悩みを年代ごとに解説しています。ふつうは時系列に沿って、生まれたときからスタートしますが、本書では逆に高齢者の側からたどっています。 本記事では、せっかくの人生を気分よく過ごすためにはどうすればよいのか、『人はどう悩むのか』(講談社現代新書)の内容を抜粋、編集して紹介します。
心の準備で世の中は変わる
私は行きたい居酒屋やスーパー銭湯に行くとき、いつもその店が閉まっていたらどうするかを考えながら向かいます。たまたま定休日だったり、店の都合で臨時休業だったりするからです。楽しみの気持ちだけで向かうと、閉店とわかった途端、なんでやねんと不愉快になります。次善の策を考えていると、閉まっていても気持ちは乱れず、逆に開いていたらよかったと思えます。閉まっていることを想定しない人は、開いていて当然ですから、別によかったとは思わないでしょう。 人と待ち合わせをするとき、時間前に行っているのに相手が遅れるとムカつきます。あるとき考えを変えて、私は時間通りに行くけれど、アイツのことだからきっと十分ぐらいは遅れるだろうと、心づもりするようにしました。すると、相手が五分遅れてきても、意外に早かったなとムカつかずにすみます。 行列に並ぶときも、どうしてこんなに人が多いのかと思うとイライラしますが、これは一時間くらいかかるなと長めに見積もっておくと、四十分待たされても、意外に早かったなと感じられます。 編集者に原稿を送ったときも、すぐの返事を期待すると、まだなのかと焦れますが、相手も忙しいだろうし、ほかに急ぎの仕事もあるだろうからと思っていると、落ち着いて待てます。 ずいぶん前ですが、拙著『日本人の死に時』には、死に時は六十歳くらいに設定するのがよいと書きました。それは六十歳で死ぬのがいいというのではなく、そう思っておくと、仮に七十歳で死ぬとしても、十年長生きしたと思えるからです。八十歳まで生きるつもりでいると、七十歳で死ぬと十年早死にだと嘆かなければなりません。それに六十歳を死に時と考えていると、四十歳ぐらいのときに、あと二十年しかないと気が引き締まり、日々を有意義にすごすようになります。八十歳まで生きると思っていると、まだ四十年もあると油断して、日々を疎かにしかねません。そういう意味で、死に時は早めに設定したほうがいいということです。 病気になって病院に行くときも、場合によっては治らないこともあると心づもりしておくと、万一、治らないとわかっても、少しは冷静に受け入れられるでしょう。ぜったいに治してほしいと思っていると、治らないときにショックが大きく、かえって病気に悪い影響を及ぼします。 父は八十五歳ごろ、歩行が覚束なくなって、「こんなに脚が弱るとは思わんかった」ともらしました。それを聞いて、私は今ふつうに歩けているのは、実はとてもありがたいことなんだと気づきました。階段を上り下りできることも、当たり前ではなく、喜ぶべきことなんだと。 悪いことを想定するのはつらいですが、繰り返していると慣れてきます。それどころか、当たり前のことに喜びを感じられるようにもなります。それは“お得”なことではないでしょうか。 さらに連載記事<じつは「65歳以上高齢者」の「6~7人に一人」が「うつ」になっているという「衝撃的な事実」>では、高齢者がうつになりやすい理由と、その症状について詳しく解説しています。
久坂部 羊(医師・作家)