男だって生きづらい 「男は強くあれ」の呪縛とは
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■「男らしさ」の呪縛を脱するには「おしゃべり」を
この日のイベントでは、恋愛について聞き取り、コラムなどを書いてきた清田隆之さんが、男性は悩みやつらさを外に出さない傾向があるが、人に話すことで気持ちが楽になるとして「男性同士のおしゃべり」を提案しました。話す側は自分の中のモヤモヤを感じ取り、何を成し得た(DOING)ではなく、どう感じたか(BEING)、という感情を言葉にすることを目指そう。面白い話とか役立つ話をしようとしなくていい、支離滅裂でいいと、清田さんが説明しました。聞く側は、口を挟まず、意見や解決策を言わずに、ゆっくりうなずき、ひたすら聞くことが大切だということです。そして、実際に登壇者が順番に、最近の家庭での出来事などの「おしゃべり」にトライしました。
■参加者は…
この日、会場には「妻とは意見が違うことが多くて、男性と女性では感じ方が違うのかなと思い始めて、もっと知りたくて参加した」という男性や「学校を卒業するとか、働き始める時など何かを選択する時に男は、こうあるべきとか考えて、生きづらい気もしていたが、自分は徐々に変わってきた。結婚して妻の姓を選んだら、周囲からあまり理解してもらえなかった。もっと広く社会全体で考え方が変わっていくといい」と話す男性もいました。
■つらい、痛いと感じていい、それを言葉にしてみよう
終了後、斉藤章佳さんに話を聞きました。 斉藤:今、つらい、痛いとしたら、ちゃんとそれを言葉にすることが大事だと思っています。例えば男の子を育てる時、転んでケガをしても、男の子だから泣くな、これぐらいで泣いていたら立派な大人になれないなどと言いがちです。つまり、痛いと感じてはいけないと刷り込まれていく。しかし、痛いと感じたのであれば、それを言葉として伝えることが大切で、その痛いという感情を周りに認めてもらって、心が和らいでいく経験を重ねることが大事だと思っています。 自分の痛みに鈍感ということは、他者に共感する気持ちになりにくい。逆に自分の痛みに鋭敏であれば、他者の痛みにも思い至る、共感的になれるということ。本来、人は痛みを分かち合うもので、つらかったよね、しんどいよね、という話が日常的にできるといい。女性同士は割と感情のやりとりを日常会話の中でして、気持ちが浄化されて、次に進めるんですけれども、男性は弱音をはけずに、つらさを感じないように封じこめて、ため込んでいって、薬物やアルコールやギャンブルで紛らわす。それが依存症につながる人がいらっしゃる。まず、自分の気持ちを正直に語り合うといったことができるといいですね。 子ども連れのお父さん同士が公園で、たまたま一緒になったとします。子どもについての失敗などをそのまま話して、「わかるわかる」などと、共感的な会話ができるはずなんですよね。男性も自分の弱さとか恥ずかしいと思うことを話すことで、共感が生まれて、なんか知らないけど、温かい気持ちが残って、じゃあ…と別れる。 実は、これはアルコール依存症などの自助グループで行われていることと同じなんです。人は誰かの成功体験を聞いても、あまり共感できないですよね。でも、人が失敗した経験を正直に話すのを聞くと、勇気づけられるもんなんです。自分の弱さが誰かのエンパワーメント、勇気づけることにつながる。そういうメリットのようなものが男性にもわかると、人に言いにくい弱い面をオープンにする文化が根付いていくんじゃないか。つらさを我慢した末に、部下を怒鳴るとか、奥さんに何か強く言葉を発することでストレスを解消するのではなくて、別の選択肢が広がっていくと思うんですよね。