「鉄道と行政がお互いの事情を知らない」元3セク社長が指摘する「赤字ローカル鉄道の処方箋」とは?
■なぜ「公募社長」になったのか ――大手コンサルティング会社の中には自治体向けに地域活性化のための提案を行っているところもあり、鉄道の活用についても言及しているのでは? 実はあまり聞きません。この分野はまちづくりがかかわるので足が長いのです。コンサルが得意とする調査・分析のフェーズよりも、どう改善していくかという実装のフェーズに手間と時間がかかるので、計画書を作って終わりというのではなく、実装について1つひとつ課題を乗り越える伴走支援する必要があります。そこを私は重視しています。
――話題を変えて、山田さんがこれまで取り組んできたことは? 大学卒業後、IT業界に就職し主にマーケティングに従事しました。2011年の東日本大震災で災害復興の支えとなった三陸鉄道を見て、私は鉄道が好きなので残された人生は鉄道を社会の役に立てたいという思いで、由利高原鉄道のITアドバイザーで活性化策を実験し、これを横展開するために合同会社日本鉄道マーケティングを立ち上げ、全国の地域鉄道へ提案に回っていました。そんな折、若桜鉄道が社長を公募したのです。
応募前、現地の旅館に3連泊して自転車で走り回りました。地域の人たちに「誰がいちばん元気に動いています?」と尋ね、その人に会いに行って話を聞くうちに問題の構造がわかってきました。沿線の若桜町は国勢調査のたびに人口が15%ずつ減る厳しい過疎で、仮に鉄道を残せたとしても地域が消えかねない状態でした。調べると沿線の町はもともと林業と農業が主力だったのですが、外材の輸入で林業が稼げなくなり、米は安くなって農業も稼げなくなり、第2次産業は海外移転で消え、地域の方々は鳥取市内で働くようになり、通勤がしやすい鳥取市内に引っ越してしまったのでした。
それであれば、打つ手は2つでした。1つは雇用を作る。そのために新しい産業を作る。そこで鉄道を観光資源として観光を立ち上げることにしました。もう1つは鉄道を便利にして鳥取市内に通勤しやすくする。そうすれば引っ越す理由がなくなり鳥取市のベッドタウンとして持続できます。鉄道があるという強みを生かして地域の利便性を高めていけば人口減少を阻止できる。この2つの作戦を提案して公募社長に採用されました。 ――今のお話は、本来なら自治体が取り組むべきでは?