「この1冊あれば他はいらない」『陰陽師』の作家が人生最後に書き上げたい“最終小説”
音楽と小説の“異種格闘”に臨むも
『陰陽師』も、『キマイラ』や『餓狼伝』も、まだ完結はしていない。“長寿”であること、それも夢枕のベストセラー小説の特徴であり、ファンにとっての大きな魅力でもある。 「書いているとね、物語が“まだ終わらせないでよ”って僕に言うんだよ。だから終われずに書き続けて、気がつけば20年、30年たっていた小説がいくつもあるんです」 夢枕は常に10本前後の連載を抱えている。原稿は今も手書き。パソコンよりも原稿用紙に万年筆のほうが、ヒマラヤでもユーコン川のテントの中でもすぐに書けるからだ。 格闘技やアウトドアなど、夢枕とは共通の趣味を通して親交が深い噺家の林家彦いちはこう証言する。 「つい1か月ほど前も一緒に格闘技観戦に行ったんですが、試合の途中で何か思い浮かんだんでしょうね。獏さん、いきなりカバンから原稿用紙を取り出して書き始めた。そんなのしょっちゅうです、リモートワークの先駆者ですよ(笑)。移動中の新幹線でも書いているし、釣りに行けば堤防で釣り糸を垂らしながら書いている。魚が掛かって、“釣れてますよ!”って教えても、“うーん、ちょっと待ってくれるかな”って、筆が止まらないんですから」 見たものや感じたことが文章となり、泉のごとく湧いてくる。そして、夢枕自身がそれを楽しんでいる。 「僕は音楽に精通しているわけじゃないけれども、ピアニストのキース・ジャレットは好きでね。来日したときに“対決”したいと思ったの。コンサート会場に原稿用紙を持っていって、万年筆にインクをたっぷり入れて、演奏が始まったら客席でキース・ジャレットのピアノを全部言語化しようとした。浮かんだ書き出しは、“天使が舞い降りてきた”だったな。1行目が書ければ、あとは自分の脳内で起きていることを描写していけば、いくらでも書けるんです。ただね、書くときのカリカリっていう音が周囲に響いちゃって。30分で隣の人に怒られた」 客席では本領発揮ならず、夢の異種対決は途中棄権。だが、自ら舞台に上がれば周囲に遠慮はいらない。芸大の学生が弾くピアノを即興で文章にしたり、朗読による音楽家とのセッションを開催するなど、夢枕は音楽との“組手”を試みてきた。そんな密かな楽しみは、小説の中にも迸っている。11年かけて完結した『東天の獅子』(天の巻・嘉納流柔術)全4巻では、姿三四郎のモデルとなった西郷四郎と、琉球拳法の達人である東恩納寛量との死闘の場面に、こんな描写がある。 《音楽が始まった。弦が鳴っている。ヴィオロンの高音が、天空の光の中に満ちている。その音と光の中で、四郎も一緒に鳴っている─》 「原稿用紙の上で戦いが始まると、どちらも“まいった”と言わないんだよ(笑)。こっちも長く書いているから登場人物の一人ひとりに情が移って、なかなか決着がつけられない。いずれかが負けるにしても、当人が納得する負け方をさせてやりたいと思って、ひと晩中、布団の中でアイデアをメモしているうちに夜が明けることもありますよ。で、脳が鼻から垂れるくらい考えていると、格闘シーンを音楽のセッションで描写するようなアイデアが必ず出てくるんです。そうやって自分でも納得できる結末に行き着いたときは、書きながら泣きますよ(笑)。 ところがね、自分の文章で泣くという話を以前、何人かの女性作家にしたら“本当? 信じられない!”みたいな雰囲気になったことがあった。泣かずに書けるというのが、逆に僕には驚きで……」 前出の佐藤監督は、夢枕の感性に対して抱いている印象を、ユーモアを交えてこう述べる。 「少しマゾっぽいところがあるのかもしれませんね(笑)。自分を追い詰めて、それに耐えられる自分が好きというか。いい意味でロマンチストなんですよ。獏さんの文章ってテンポがあって映像的ですけれども、普段の会話でも、例えば見ている風景に対して小説に書くような文学的な表現を使うことがよくあります。一番びっくりしたのは夢の話で、獏さんは夢を文章で見ることがあるそうなんです」 物語が文章となって夢に出てくる─。そんな稀有な力が宿る体験が、夢枕の生い立ちにはあった。