瑠璃光寺五重塔の檜皮葺きに五木寛之さん「色といい形といい、じつにいいのである」…住民の嘆願で移転せず
「令和の大改修」が進む国宝・瑠璃光寺五重塔(山口市)に魅せられた作家の思いを紹介する。 【写真】資料館で展示されている五重塔を残すよう求めた地元住民の嘆願書
「他の二つと瑠璃光寺の塔がちがっているのは(中略)屋根が檜皮葺きだという点である。その檜皮葺きの屋根が、色といい形といい、じつにいいのである」
国宝・瑠璃光寺五重塔は、奈良県の法隆寺と京都府の醍醐寺とともに「日本三名塔」と呼ばれる。五木寛之さん(92)は著書「百寺巡礼」の一節で、2004年に山口市を訪れた際、五重塔に見とれた感動をこう表現した。
先に建立された他の2塔は、いずれも瓦葺き。京文化に親しみを抱いていた大内氏が檜皮葺きを採用した理由は、記録が残っていないため明確にはわからない。ただ、大内氏が他の建物にも檜皮を使っていることから、市教育委員会文化財専門監の古賀信幸さん(62)は「造形的な好みなど何らかの意図があったのだろう」とみる。
中国地方を支配した有力大名の毛利氏は関ヶ原の戦い(1600年)で敗北し、領地を減らされて萩城(山口県萩市)に入った。五重塔のある香積寺も萩に移転したが、地元住民の嘆願を受けて五重塔は現地に残った。
当時の嘆願書は今も瑠璃光寺の資料館にある。五木さんは著書で「目に見えないたくさんの人びとの信仰が、この塔をずっと支えつづけてきたのである。そうでなければ(中略)美しいすがたを保ちつづけることは不可能だったであろう」とつづった。
五木さんを案内したのは先代住職の渡辺宣之さん(昨年10月に死去)。宣之さんは五重塔と住民の絆の深さに触れ、寺と住民の協力関係が塔の存続に欠かせないことを強調したという。
4年前に後を継いだ現住職の博志さん(54)も父親と思いは同じだ。「塔を支えているのは、関心を持ってくださる皆さまの力に他ならない。改修工事を無事に済ませて日本の宝を次世代に引き継ぎたい」と力を込めた。