ここ数年でも屈指の傑作…King Gnuの「ねっこ」が紡ぐ神木隆之介”鉄平”の生き様とは?『海に眠るダイヤモンド』考察
King Gnuの「ねっこ」が紡ぐ鉄平(神木隆之介)の生き様
そんな私たちに本作が見せてくれたのは、大地を攫っていくような突風に晒されても、誰かへの想いに根を張って逞しく生きる人々の姿だった。 〈ささやかな花でいい 大袈裟でなくていい ただあなたにとって価値があればいい〉と歌う主題歌「ねっこ」(King Gnu)は、鉄平の生き様そのものだ。大きな夢を描ける時代にあって、いづみ=朝子(杉咲花)とのささやかな幸せを願っていた鉄平。 だが、炭鉱の事故で亡くなった兄・進平(斎藤工)の罪と、彼が守ろうとしていたリナ(池田エライザ)と誠の人生を引き受けることを決めた彼は、それさえも手にすることができなかった。 リナが端島に来なければ、進平が人を殺さなければ…そんなたらればが、頭をよぎる人も少なからずいるだろう。誠=澤田(酒向芳)だって「自分が生まれてこない方が良かったんじゃないか」と思ったことは一度や二度じゃないはず。 そんな彼に、「あなたたちがいたから、この家族に会えた。あなたが生きてて、また会えて、良かった」と“赦し”を与えるいづみを見て、タイムパラドックスの話が頭に浮かんだ。 もしも日記を読み進める中で鉄平の朝子に対する思いを知った玲央が、過去にタイムスリップできたとしたら、2人が生き別れになる運命を変えられるかもしれない。だけど、そしたら朝子は虎次郎(前原瑞樹)と結婚することもなく、子供や孫も生まれなかった。 それどころか、遺伝子検査の結果、朝子と血の繋がりがないことが判明した玲央でさえも、もしかしたら別のところで人生が繋がっていて、生まれなかったかもしれないのだ。
あなたが何かに失敗して泣いた今日が、誰かが笑う100年後に繋がっているかもしれない
今、この瞬間はあらゆる人の選択の上に成り立っている。大きなことを成し遂げた人でなければ、未来には何も残せないと思うだろう。だけど、例えば、あなたが何かに失敗して泣いた今日が、一度も会うことのない誰かが笑う100年後に繋がっているかもしれないという可能性を示してくれたのが、この作品だった。 その可能性に希望を見出し、日々を前向きに生きれるか、それとも意味のないことだと吐き捨て、自分の幸せだけを追求していくかは人それぞれで、どちらが正しいとか正しくないかを論じる必要はない。だけど、少なくとも鉄平は前者で、遠くで朝子の幸せを願いながら、彼女の目につかない場所で生き続けた。 それは自己犠牲とは異なる。晩年、鉄平がボランティアをしながら暮らした一軒家には、端島を望む庭に朝子が好きだったコスモスが咲いていた。そこで彼が何を思っていたのかはドラマでは明かされていない。 だけど、端島で外勤として過ごした日々や、朝子に対する思いは、決して鉄平の胸を痛めるものではなかったのだと思う。それらは鉄平がヤクザに追われながらも、生きる上で支えとなる大事な“ねっこ”となり、最終的に美しい花を咲かせた。