朝ドラ出演の57歳俳優は元芸人。“まさかの相方”と30年ぶり復活のワケを本人に聞いた
出会いはショーパブのオーディション
――小浦さんと最初に出会ったのは、六本木のショーパブだったんですよね。 田口:僕は劇団東京乾電池の研究生を卒業した後、六本木の「ランフィニ レヴュー倶楽部」ってショーパブのキャストオーディションを受けに行ったんですよ。もともと唐沢(寿明)さんとかTRFのCHIHARUさんとかが踊っていたレヴューショーをやってるようなお店なんですけど、同時にイロモノ枠も募集してたからそこに入りたいと思って。 そのオーディションで偶然居合わせたのが相方の小浦。2人とも受かったんですけど、タイプはまったく違いました。向こうはダンスの専門学校を出てるから、踊れるしカッコいいしで女の子からキャーキャー言われるキャラで僕はお笑い担当。ただ、福岡出身で同い年だったから、何となくものの見方とか感じ方が似てて気が合ったんです。 当時の僕は「とにかく客前に立ちたい」って気持ちが強かったので、「相方にいいな」と思ってこっちから小浦を誘う形でコンビを組みました。それから、ショートコントの間に指を鳴らしながらザ・コーデッツの「ロリポップ」を歌ってつなげるネタを、そのショーパブでやり始めたんですよね。 ――1989年にコンビを組んで、すぐに「ロリポップ」のネタを披露していたんですね。 田口:その後、今の事務所から声が掛かってすぐホリプロライブにも出られるようになったし、コント赤信号・渡辺正行さんが主催する「ラ・ママ新人コント大会」でもゴングショーじゃなくて即1本ネタでやらせてもらえたんです。 そのまま深夜番組とかにもちょこちょこ出演するようになって、同時に僕は21歳のときに周防正行監督の『ファンシイダンス』(大映)で映画デビューしてるから、とんとん拍子のスタートでした。
あの当時はみんなライバルって感じ
――同じ事務所では、さまぁ~ず(当時は「バカルディ」)が同期なんですよね。 田口:役者としての所属は僕のほうが早いんですけど、芸人コンビで言うとほぼ同期ですね。向こうは東京の下町の子、僕らは福岡の田舎者だけど、同じ昭和42年生まれなのでやっぱ仲良くなって。タイプは違ったけど、2組で合同ライブをやったり、一緒にネタを作ったりしたこともありましたね。 当時、ホリプロでお笑いやってる人間たちは、今はもうない事務所の5階の稽古場に週1回ネタ見せに行かなきゃいけなかったんです。だから、みんなそこに集まってネタ見せして、毎月1回のライブに臨んでました。そんなサイクルが2年ぐらい続いたのかな。 ――若手の勝ち抜きお笑い番組『LIVE 笑 ME!』(日本テレビ系)では目立つ存在だったと思います。爆笑問題、ホンジャマカ、SET隊(岸谷五朗・寺脇康文・山田幸伸による3人組)など、そうそうたるメンバーが出ていますが、どんな心境で番組に臨んでいたのでしょうか? 田口:今の芸人さんって、みんな仲が良くて徒党を組んで番組を盛り上げるじゃないですか。あの当時はもうみんなライバルって感じ。楽屋でも会話しないし、みんな「芸人としてどっかで破綻してろ」みたいな感性で生きてたからギスギスしてました。シティボーイズ寄りの“東京のお笑い”って流れもあって、演劇チックなものとか無表情で演じるシュールっぽいものが流行ってたんです。だから、東京の芸人たちはみんな「関西とは違うよ」みたいなネタをやってました。 当時は、僕自身も太ったキャラの割にバカになり切れないというか、「一応、俺ネタ作ってるから」みたいな、東京のお笑いチックな部分があったんですよね。そんなことどうでもいいだろって今の年齢になって思うんですけど(笑)。