【世界の野球ネパール編1】初めての「野球」に目を輝かせる子どもたち
震災の影響と国境封鎖は関係ないそうだが、復興に向かうネパールにおいてガソリンの供給が止まることが、どれだけ生活を圧迫するかは容易に想像できる。さらに、もともとガソリン代の高いネパールだが、一時は1リットル400円まで高騰していたそうだ。ネパール野球ラリグラスの会が昨年12月予定していた「震災復興支援野球大会」も、ガソリン代の高騰で各地の子どもたちを野球場に集めることが困難になり、今年4月への延期が決まっている。
幸せいっぱいの表情でボールを追う子どもたち
初日、バクタプルという田舎町へ足を運んだ。2歳から15歳までの子ども達が9時頃から朝礼を始めた。日本では、想像もできないほどの小さな学校と教室で、280人の子どもが学んでいる。体育の授業はなく、遊具は一つ、校庭というより空き地があり、そこで、子ども達は遊んでいた。私たちは、地域の広場へ場所を移し、子ども達へ野球というスポーツを紹介し、みんなでカラーボールを追いかけた。ボールを追う子ども達の幸せいっぱいの表情から、私の心配は吹き飛び、逆に元気をもらった。
裕福な地域を除いて体育の授業がないネパールでは、こうしたスポーツを学べる機会が貴重で、大変感謝していると先生は話してくれた。生活様式、時間、どれをとっても日本とは全く違う教育だったが、その国々の姿に適応していくスポーツの姿・役割をみて、改めてスポーツの可能性を感じた。私にとっても、前回、前々回のイラン、パキスタンのように、勝たなければならないという結果を求められた渡航ではなかったので、ありのままの姿で現地に溶け込めたのではないかと思う。ネパール野球ラリグラスの会が掲げる「野球から広がる笑顔の輪」が、確かにネパールにはあった。 (つづく)
◆色川冬馬 1990年仙台市生まれ。聖和学園高校、仙台大卒。大学在学中にメジャーリーガーを目指し単身渡米。2年後独立リーグと契約。米・メキシコ・プエルトリコ等のリーグでプレーした後、2013年現役引退。宮城で中学生を指導している中、イランでもユース世代に野球指導。その実績が認められ2014年イラン代表監督就任。16年間で1勝しか出来なかったイランを2015年西アジアカップで準優勝に導き、パキスタン代表監督に就任。同9月のアジア選手権でパキスタン代表を初のWBC予選出場へ導いた。リトルリーグのラテンアメリカ野球選手権日本代表監督も務める。
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