稲垣潤一、『トヨタ MR2』に『ポルシェ 911』 49歳まで乗り継いだ“マニュアル車愛”
『クリスマスキャロルの頃には』などのヒット曲で知られる、歌手の稲垣潤一さん(70)が、『トヨタ MR2』や『ポルシェ 911』など歴代の愛車とともに、これまでの歩みを振り返りました。 【画像】稲垣潤一の3Dフィギュア 稲垣さんは1982年、28歳の時に『雨のリグレット』でデビュー。『ドラマティック・レイン』や『エスケイプ』、『夏のクラクション』など多くのヒット曲を世に放ち、ドラムをたたきながら歌う斬新なスタイルでファンを魅了してきました。1992年には今もなお愛される『クリスマスキャロルの頃には』でミリオンセラーを記録しています。 父親の影響で車に魅了されたという稲垣さんは、競技レースの参戦経験も持つほどの車好き。そのため過去の愛車はマニュアル車ばかりだといいます。
■初代愛車『トヨタ カリーナ』 ドラムセットの運搬に大活躍
稲垣さんが免許を取得したのは23歳の時。ドラムセットを運ぶ必要があったために取得したそうで、1台目の愛車として『トヨタ カリーナ』を紹介しました。 1970年発売、“足のいいやつ”というキャッチコピーで人気を博したこの車。稲垣さんは「かっこいいな~」と思わず声を漏らします。選んだ理由について「僕が買ったのは『カリーナ 1600ST』。友達が乗って、“いい”って話を聞きつけて同じものを買いました。業者さんの所へ取りに行った時、初めての車だから助手席に父親に乗ってもらって、おぼつかない感じがまだありましたね」と思い出を明かしました。 約45年ぶりに車に乗り込むと「特有の匂いがあるじゃないですか。これやっぱ(当時を)思い出します。エンジンもパワフル」と走り心地を絶賛しました。
■風呂なし・4畳半 極貧時代を振り返る
子どもの頃から音楽好きで、中学3年生の謝恩会で初めてバンドとしてライブを行ったという稲垣さん。高校を卒業すると地元・仙台でハコバンド(クラブやダンスホールで生演奏するバンド)に加入し、東京に進出。19歳で1度目の上京を果たします。当時、家賃1万5000円、風呂なし、4畳半のアパートにバンド仲間2~3人で住み、日々さまざまな場所で演奏を行いお金を稼いでいたそうで「仕事は結構あったけどお金にはならなかった」と極貧生活を振り返りました。 しかし、ほかのバンドと交流する中で、そのレベルの高さに圧倒され、上京から1年で仙台に戻りました。皿洗いや古紙回収で生活をしのぎながら、ハコバンでの活動やデモテープの製作を続けていたといいます。 そして27歳で転機が訪れます。作り続けていた音源が、あるプロデューサーの目にとまり再び上京。1982年 28歳のときに、『雨のリグレット』でデビューを果たしました。当時について「デビューした実感がなかなかもてなくて。レコード店に行って自分のシングル盤を探しました。見つけて“デビューできたんだな”って実感した」とデビューを懐かしみました。