稲垣潤一、『トヨタ MR2』に『ポルシェ 911』 49歳まで乗り継いだ“マニュアル車愛”
■車欲しさに“禁断症状” 軽乗用車初の“スペシャリティカー”
そんな稲垣さんですが、車への愛を抑えられず“禁断症状”が出たという経験をしたそうです。26歳の時にどうしても四駆に乗りたかったそうで『スバル レオーネ エステートバン』を購入しますが、上京するにあたり車を売却。しかし、上京まもなく車に乗りたい気持ちが抑えられず『ホンダ Z』を購入しました。 1970年発売、『ホンダ NⅢ 360』をベースに製造されたこの車。軽乗用車初のスペシャリティカーで、特徴的なバックドアガラスから“水中メガネ”という愛称で親しまれました。 稲垣さんは当時について「上京したてで、過去の車を全て手放してきたんです。売却して、0から始めようってことで。でもどうしても欲しくて、近くの中古店さんで20万円の『ホンダ Z』があったんですよ。これならなけなしのお金でなんとか買えそうだなってことで」と購入理由を明かし、「仙台と東京を3回ほど往復しました」と愛車との思い出を振り返りました。
■国内Aライセンス取得は『トヨタ MR2』
その後、31歳で夢だったという国内Aライセンス(国内競技運転者許可証A)を取得。資格取得の際に運転していたのが『トヨタ MR2』だといいます。 1984年発売、エンジンを運転席の後ろに搭載した日本車初の『ミッドシップレイアウト』を採用し、走りの楽しさを求める若者を中心に大ヒットしました。稲垣さんは赤色に乗っていたようで「走りはやっぱりミッドシップなので、FFとかFRとは乗り味が違うところが味ですよね」とスポーツカーを堪能しました。 ライセンス取得後はすぐレースに参戦、選手として5年ほど走っていたといいます。2013年には国内最高峰といわれるツーリングカーレース・SUPER GTで監督にも挑戦しています。
■『スバル 360』に家族4人 幼少期の思い出
31歳以降は、次々に車を迎え入れます。『トヨタ MR2』購入と同じ年に『ポルシェ 944』、34歳の時には『BMW M3』、36歳~40歳の間には『ポルシェ 911』シリーズ3台を2年おきに乗り継ぎました。 ほかにも『BMW Z3』、『BMW Mクーペ』と49歳までマニュアル車を乗りこなしてきた稲垣さんですが、現在はオートマ車『BMW M2』が愛車となりました。しかし、この車には後悔していることがあるようで「マニュアルにすればよかったな~。マニュアル遠ざかってると乗りたくなる。クラッチ踏みたい…」と走りでの“物足りなさ”を嘆きました。 そんな稲垣さんの前に、“思い出の1台”として現れたのは『スバル 360』。1958年発売、生産台数は約39万台で、国内のモータリゼーションの火付け役といわれる車です。 実は幼少期、稲垣さんの実家に来た第1号の車だったそうで「青葉城(仙台市)に行くまでが、すごく坂道で。車がヒイヒイいってる感じが伝わってきて、頑張ってるなって。この大きさで4人乗っているのがすごいですよね」と家族での思い出を明かしました。
■車は「ゾーンに導いてくれる装置」
歴代の愛車に触れ「いろいろ思い出がよみがえってきました。当時の車の匂い、車ってこういう匂いだったなって思い出しました」と話す稲垣さん。 最後に、“稲垣潤一さんにとって車とは?”という質問に「ゾーンに導いてくれる装置」と言い表しました。「ドラムをたたいて歌うとき、あるゾーンに入るんです。自分と、もう一人の自分をふかんで見ているような感じ。車でレースしてるときも同じで、運転してる自分がいて、もう一人の自分が見ている感じがするの。それが(ドラムと)一緒だなって」と長年愛してきた、ドラムと愛車を重ねて締めくくりました。 (10月14日放送のBS日テレ『おぎやはぎの愛車遍歴』を再構成)