元ソフトバンク・攝津正氏「チャリティを含め、様々なことに挑むことが野球人としてのプラスになる」
ソフトバンクのエースとして活躍した攝津正氏は、現役時代からチャリティへの意識が強い。現役引退後もイチ個人として思いは変わらず、「スポチュニティアンバサダーとしても、できることから動きたい」と語る。
「待っている時間はないので動かないといけない」 冒頭から今年1月に発生した能登半島地震の話になった。石川県を中心に発生した最大震度7の揺れは建物の倒壊や津波等の甚大な被害を起こし、今でも避難生活を余儀なくされている人は多い。 「2011年の東日本大震災では身内が仙台で被災しました。父親は仙台で働いていたし、親戚や社会人時代の仲間、同級生も数多くいた。自分自身にとって遠い世界の話ではなかった。現地の状況が即座に伝わってきて、何かしないといけないと思いました」 仙台は社会人・JR東日本東北時代の8年間を過ごした大事な場所。報道等ではなく現地の知人から詳細な情報が直接入ってきて自らの無力感を感じたという。 「難しい問題もあるかもしれないですが、何かあったらすぐに動いた方が良いと思うようになった。震災に場合などは、頭で考える前に食料や物資を送る必要があると思います。また寄付が集まることによって必要なものを1つでも購入してもらえる。少しでも早い復興のためにも行動することの必要性を痛感しました」
~震災チャリティは今すぐに行動することが必要
「(東日本大震災後も)もっと何かできたはず…」と自責の念は消えなかった。その思いからか2016年4月に起きた熊本地震では、球団関係者の意見を振り切ってでも、即座に寄付活動を行った。 「『(地震が起こって)すぐに動きたい』と話しましたが、球団側は『少し待ってくれ』ということでした。状況が深刻なだけに球団としても難しい判断だったのでしょうが、時間は経過するので歯痒かったです。松坂大輔さんと話して、即座に募金することを決めました」 多少の時間を要したが、まずは摂津氏と松坂氏が球団を通じて寄付することが同年6月21日に発表された。 「公式コメントにも出ましたが、熊本・藤崎台球場は、僕が先発投手として初めて勝利投手になった球場です(2011年4月24日、ロッテ戦)。でもそれ以上にどのような形でも何か動きたかったので、寄付をしたかったです」 2021年12月25日には、継続的に熊本支援活動を行う斉藤和巳・ソフトバンク四軍監督の呼びかけで野球教室にも参加。時間は経過しても被災地への変わらぬ思いを持ち続けている。