「永遠の別れと知らず帰りき」大佐が遺書に綴った家族への思い~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#37
石垣島警備隊の司令、井上乙彦大佐は、1950年4月7日、午前0時を回って間もなく、スガモプリズンで死刑が執行された。51歳で絞首台に立った井上大佐は、家庭ではどんな人だったのか。夫の死後、妻・千鶴子は、石垣島に慰霊碑を建立していた。井上大佐の遺書に綴られていたのは、家族へのメッセージ。そこにはー。 【写真で見る】碑に刻まれた井上乙彦大佐の辞世の一首
井上大佐の妻が建立した碑
石垣島の桃林寺は、琉球国尚寧王の命により1614年に創建された、由緒ある禅寺だ。山門には、沖縄県の指定文化財になっている仁王像が立つ。ガジュマルなどの大きな木が生い茂る境内の脇に、御影石で作られた碑があった。 井上乙彦大佐の妻、千鶴子が1986年(昭和61年)に建立したという。夫が処刑されてから、36年後のことだ。碑の正面には、聖観音が描かれ、台座には「怨親平等平和祈願」の文字と、井上乙彦大佐の辞世の一首が刻まれている。 “石垣島に逝きしこゝだの戦友の遺族思ひをり最期の夜ごろを 井上乙彦”
戦死者とマラリア病没者の鎮魂供養と世界平和祈願のため
碑の裏には、「碑文太平洋戦争末期沖縄先島作戦中優勢なる敵空軍迎撃対空戦闘に奮戦戦没せし石垣島海軍警備隊将士及び戦傷病死者海軍少佐福田太郎治以下二五六名ならびに所在市民マラリア罹病病没者多数の御霊鎮魂供養と世界平和祈願の為怨親平等の聖観音建立寄進す」とあり、石垣島警備隊での死者と石垣島でマラリアに罹患して亡くなった住民も慰霊するものになっている。辞世の句に詠まれている「こゝだ」は、「たくさん」という意味だ。
藤中家に送られてきた短冊
福岡県嘉麻市に住む藤中松雄の遺族のもとには、千鶴子夫人から送られてきた短冊があった。碑に刻まれた辞世の句が、夫人の手で書かれている。 井上大佐が裁判前、自分が命令したことを明言しなかったことで、多くの部下たちが死刑を宣告され、最終的に藤中松雄ら下士官も含む6人を巻き添えにしたということが言われていたため、松雄の次男、孝幸さんは、千鶴子夫人と同席した際にそのことを口にしたことがあった。その時、夫人は泣き崩れたという。