フジテレビ系「とくダネ!」などで活躍した小倉智昭さん死去 全身にがんが転移したのが原因か… 「僕が落ち込んでも、かみさんはいつも『大丈夫』と励ましてくれた」
秋田市出身で、獨協大外国語学部フランス語学科を卒業後、アナウンサーとして東京12チャンネル(現テレ東)に入社。若い頃から病気との闘いだった。1976年に退社してフリーとなり、TBS系クイズ番組「世界まるごとHOWマッチ」(1983~90年)のナレーションで注目を浴び始めた37歳の時に糖尿病を発症。学生時代からビールやウイスキーを浴びるように飲むなど、暴飲暴食がたたった結果だった。
それ以来、毎日欠かさずインスリンの注射を打ち、血圧や血糖値、食べた物や排泄(はいせつ)物を観察してメモ帳に記録。2003年には1日4箱は吸っていたたばこもやめ、お酒は少量にして、きめ細かく自分の体調と向き合ってきたが…。糖尿病やがんのほか、腰部脊柱管狭窄(せきちゅうかんきょうさく)症も患っていた。
あせると出る吃音(きつおん)は少年時代から。吃音を克服するため、あえて話す仕事を選んだが「ぜんぜん治ってないし、年中、出る」とあっけらかんと笑っていた。「吃音についての講演で『どうすれば治りますか』と聞かれると、『自信を持って話しなさい。大事なのは話の中身』と言うんです」と最後まで信念はブレなかった。
29歳の時、局アナからフリーに引き抜いてくれたのは、遊びの達人でタレントの大橋巨泉さん(2016年7月死去、享年82)。巨泉さんに追いつけ追い越せの日々を続けた。「とくダネ!」時代は連日のように新聞や雑誌のほか、多彩なジャンルの本を2冊以上は読んで知識をたくわえ、CDや映画のDVDを楽しみつつ感性も磨いた。陰の努力を怠らない人だった。それも好きだからこそ。ニュースの真相に迫る確かな目にも定評があった。
その裏には、さゆりさんの存在があった。小倉さんも「かみさんは楽天家。僕が落ち込んでも、『大丈夫、大丈夫』って明るくしてくれる」とサンケイスポーツの取材に打ち明けてもいた。前妻との間に息子が1人いるが、さゆりさんと再婚したのは糖尿病を発症する少し前。さゆりさんが日大芸術学部1年のとき、小倉さんが司会を務めるテレビ番組を見学に来て知り合い、卒業まで待って結婚した。最近は便宜上、別居という形を取りながら、病院への付き添いも含め介護をしてくれるさゆりさんへの感謝の思いも公言していた。