「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・橋姫② 生きがい失った男に届いた「手紙」と新たな出会い
輝く皇子は、数多くの恋と波瀾に満ちた運命に動かされてゆく。 NHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部。彼女によって書かれた54帖から成る世界最古の長篇小説『源氏物語』は、光源氏が女たちとさまざまな恋愛を繰り広げる物語であると同時に、生と死、無常観など、人生や社会の深淵を描いている。 この日本文学最大の傑作が、恋愛小説の名手・角田光代氏の完全新訳で蘇った。河出文庫『源氏物語 6 』から第45帖「橋姫(はしひめ)」を全7回でお送りする。 【図解】複雑に入り組む「橋姫」の人物系図
光源氏の死後を描いた、源氏物語の最終パート「宇治十帖」の冒頭である「橋姫」。自身の出生に疑問を抱く薫(かおる)は、宇治の人々と交流する中でその秘密に迫っていき……。 「橋姫」を最初から読む:妻亡き後に2人の娘、世を捨てきれない親王の心境 ※「著者フォロー」をすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 ■世間に出ていくこともままならず 宮は、父である桐壺帝(きりつぼてい)にも母である女御(にょうご)にも早くに先立たれ、しっかりとした後見もとりたててないなかで、学問なども深くは修めることができなかった。まして俗世間で生きていく処世の心構えなどあるはずもなかった。高貴な方というなかでも、あきれるほどに上品でおっとりした女のような人である。古くから伝わってきた宝物や祖父の大臣の遺産など、何やかやと数限りなくあったはずなのだが、みなどこへ行ってしまったのか、いつの間にかなくなってしまい、調度類ばかりだけがことさら麗々しくたくさん残っているのだった。ご機嫌伺いに訪問したり、気に掛けてくれる人もいない。宮は所在ないままに雅楽寮(うたづかさ(音楽をつかさどるところ))から音楽の師たちなど、その道の達人を呼んでは、役にも立たない遊びごとに熱中して成人したので、音楽にかけてはじつに秀でているのだった。
この宮は源氏の大殿(光君)の弟で、八の宮である。冷泉院(れいぜいいん)がまだ東宮だった時、朱雀院(すざくいん)の母后(きさき)(弘徽殿大后(こきでんのおおきさき))が、冷泉院を押しのけてこの八の宮を東宮に立てようと、自身の威勢のままにあるまじき計画を企てる騒動があり、宮は心ならずも、あちらの源氏方とのつきあいからは遠ざけられてしまったのである。それからはますます源氏の子孫の時代となり、世間に出ていくこともままならず、この何年かはこうした聖となりきって、もはやこれまでといっさいの望みを捨てているのだった。