監視カメラの前では誰もが「不審者」になる?
竹中 克久(明治大学 情報コミュニケーション学部 教授) 「監視社会」という言葉を聞く機会が増えています。もともとは軍隊などの実力を背景に、大衆を監視・管理する権威主義的国家を念頭に使われることの多かった言葉ですが、近年のデジタル技術の進化にともない、高度情報社会と不可分の概念として考えられるようになりました。日本社会もまた、その例外ではありません。 ◇カメラで監視されるのが「当たり前」の社会 私は社会学的な観点から「組織」と人間の関係について研究をしています。現代に生きる私たちは、高度に情報化された社会、所属する組織、コミュニティなどのさまざまな場面において、ほぼ常に何らかのかたちで監視されていると言えます。 「監視」というと、看守に見張られる囚人をイメージするかもしれませんが、位置情報を通信するスマートフォンの地図アプリも一種の「監視」ですし、あるいは、家を出てちょっとした買い物をするにも、街中に溢れる「防犯カメラ」の名前を借りた監視カメラに映らずにすませるのは不可能です。 商店街や駅などに設置されている「防犯カメラ」は、一説によると日本全国で500万台以上と推定され、台数としては世界5位という統計もあります。それに加えて、個人が自宅等に設置するものもあれば、工場のライン監視なども「監視カメラ」としてカウントすることが可能です。 さらに言えば、車の数に近いほどのドライブレコーダーが街路を記録しているほか、スマホの普及で一人一台のカメラを携帯しているとみなすこともできます。このように、実質的な監視カメラの台数は総人口よりも多いと言っても過言ではなく、常に記録されることが当たり前の社会になっているのです。 さて、「防犯カメラ」というからには「犯罪」を「防ぐ」ためのカメラであるはずです。しかし、テレビのニュース番組で流れる「防犯カメラが捕らえた犯行の瞬間の映像」が典型であるように、実際にはすでに起きてしまった犯罪を記録している過ぎません。 もっとも、映像が犯人逮捕に結びつくのはよいことですが、犯罪を未然に防ぎたいという目的に関していうと、実は「防犯カメラ」は私たちが期待するほどには防犯として機能していない可能性があるのです。 実際、「防犯カメラ」に関する複数の研究によると、ゴミのポイ捨てや窃盗などについては一定の抑止効果が見られるものの、暴行や傷害などの粗暴犯、殺人などの凶悪犯には効果が薄いという結果が見られます。また、無差別殺傷など行為者が逮捕をいとわない犯罪への抑止効果もほぼないと考えられています。 では、私たちは日本の治安をどのように感じているのでしょうか。2021年12月から2022年1月にかけて内閣府が行った調査では、「あなたは、現在の日本が、治安がよく、安全で安心して暮らせる国だと思いますか」という問いに対して、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と回答したのは85.1%でした。完全に安全・安心という社会が存在しない以上、これはかなり高い数値です。 その一方で、「あなたは、ここ10年間で日本の治安はよくなったと思いますか。それとも悪くなったと思いますか」という問いに対しては、「どちらかといえば悪くなったと思う」「悪くなったと思う」という回答が54.5%にものぼっています。 2017年に行われた前回調査では60.8%の人が「治安は悪くなった」と回答していたことを考えると、わずかに改善しているかもしれませんが、それでも、おおよそ6人のうち5人が安心・安全だと考える社会において、6人のうち3人はこの10年の間に治安が悪くなったと感じているのです。これを「体感治安の悪化」と言います。