監視カメラの前では誰もが「不審者」になる?
◇犯罪は減少しているのに体感治安が悪い理由 しかし、実際に治安は悪化しているかというと、統計上はそうとは言えません。警察庁によると、年間の刑法犯認知件数は2002年(約285万件)をピークに急激に減少しています。2022年(約60万件)こそ20年ぶりに前年を上回りましたが、依然として統計開始以降で最小水準です。 この20年の間、監視カメラの設置数が増加したのは確実ですし、解像度などの機能も向上しているはずです。にもかかわらず、私たちが治安は日々悪化しているという不安を抱えながら生活しているのはなぜでしょう。 体感治安が悪化する要因にはさまざまなのもが考えられますが、ひとつにはテレビやインターネットをはじめとしたメディアに繰り返し登場する犯罪報道の存在があげられます。 高度情報社会では情報の総量は非常に大きくなります。SNSで報道がシェアされたりコメントがつけられたりするなどして、センセーショナルな犯罪に関する情報は量的に拡大していきます。また、いわゆる「闇バイト」やサイバー犯罪といった新しい手口の犯罪が登場すると、人は「報道は氷山の一角だ」と考えて、犯罪の発生件数を実際よりも過大に見積もる傾向にあります。 さらに質的にも、街中のカメラの増加にともってインパクトのある映像ニュースが増えたことで、より鮮烈なイメージがもたらされています。こうした情報の量的・質的変化が、私たちの体感治安を悪化させる要因となっていると考えられます。 つまり、実際には治安は良くなっているにもかかわらず、人々は「体感治安の悪化」に苛まれており、より「安心・安全」な社会を希求して、監視カメラをはじめとする監視技術の向上に夢を見るのです。 そこでは「不安」の存在によって犯罪を未然に防ぐ技術が正当化されていますが、その技術もまた犯罪を完全になくすことはできないという事実によって、人々の「不安」が一層かき立てられるという負のサイクルが成立しているように思えます。 こうして「監視」に正当性が付与された社会では、身近な組織やコミュニティにおいても当然のように監視技術が導入され、そのカメラの前では、すべての人が「いつか犯罪を犯すであろう人」すなわち「潜在的不審者」として扱われることになります。 そして、監視技術で取り除くことができなかった不安は、私たちが相互に監視し合う、すなわち、お互いを「潜在的不審者」として扱う「相互監視社会=相互不信社会」を生み出しているのです。 人が人を信用するというよりも、人が人を警戒し、相互に監視することが常態化した状況をあらわす典型例としては、いわゆる「不審者情報」をめぐる人々の行動があげられるでしょう。 昨今、警察や自治体から「不審者情報」が即座にメールで配信されたり、ホームページに掲載されたりします。たとえば、その中にこのような内容のものがありました。 ・午後5時40分頃、〇〇3丁目の路上で、児童(女)が通行中、男に声をかけられました。 ・声かけ等の内容:君たち。せっかくだから、お菓子をあげるよ。 ・【不審者の情報】年齢70歳前後、身長160cmくらい、白髪、黒色背広上下、サングラス、セカンドバッグ所持 もちろん、字面からはある程度の想像しかできませんが、このケースでは、おじいさんが単に所持していたアメを子どもに配ろうとしただけかもしれません。こうした文脈を持たない断片的な情報であっても、警察や自治体が発信する「不審者情報」として言語化されると、ある種の擬似的な客観性を帯び、そこに犯罪を試みようとする「不審者」のイメージが喚起されてしまいます。