横浜市電の元車掌が語る、びっくりエピソード! 「入ると助役が…」営業所の風呂場は検査場だった!?
◆運転手になったきっかけは?
――運転手になられたのは、どんなきっかけだったのですか 相原:市電の免許が、国家試験制度になった関係で、(詳細の事情は定かでないが)運輸省(当時)からお達しがあったのか、各営業所に何人かずつ、新しい基準の免許持ちの運転手を置こうという話になったのでしょう。 運転手候補ということで10人くらいの募集があったんです。そうしたら志願者が殺到しましてね。志願者が集められて(局内の)筆記試験を受けさせられて、受かった10人が、今度は東京の青山にあった都電の教習所に4カ月間、学科研修に行かされました。 試験は8科目あって、全科目70点以上取らなければ不合格ということで、必死に勉強しました。私は、早く運転手になりたかったんですけど、当時は運転手の不足がなかったんだと思いますが、そういう話が全然なくて、ようやく巡ってきたチャンスでしたからね。 ――編集部より―― 書籍『かながわ鉄道廃線紀行』では、運転手として一番印象に残っている出来事や、遭遇した交通事故、車両に対する思いなどについても聞いています。また、インタビュー以外にも、横浜市電の歴史や車両、さまざまなエピソードなどを、当時の写真や新聞記事などを交えて詳しく紹介しています。
▼ 森川天喜 プロフィール
神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)。2023年10月~神奈川新聞ウェブ版にて「かながわ鉄道廃線紀行」連載。
森川 天喜