中国の「魔法の武器」、統一戦線工作部 イギリスでのスパイ疑惑で注目される
コウ・ユー(シンガポール)、ローラ・ビッカー・アジア特派員(北京)、BBCニュース 中国には「魔法の武器」がある――建国の指導者の故・毛沢東氏や、現在の国家主席の習近平氏が、そう言ってきた。 「統一戦線工作部(UFWD)」と呼ばれる組織のことだ。増強の続く中国の軍備と同じくらい、西側では警戒されている。 最近、この組織とのつながりが調べられ、制裁を科された在外中国人が、有名実業家の楊騰波氏だ。英王室のアンドリュー王子と交流があった。 統一戦線工作部の存在は秘密ではない。数十年の歴史があり、中国共産党の組織であることはよく知られている。論争の的にもなってきた。アメリカやオーストラリアなどの捜査当局は、いくつかのスパイ事件でこの組織に言及。中国政府が外国への介入に利用していると非難してきた。 中国政府はばかげた話だとして、スパイ疑惑を全面否定している。 ではいったい、統一戦線工作部はどんな組織で、何をしているのか。 ■「中国のメッセージをコントロール」 もともとは幅広い共産主義者同盟を指していた「統一戦線」は、数十年にわたった中国の内戦(国共内戦)における共産党勝利の鍵として、毛氏が高く評価していた。 1949年に内戦が終結し、共産党が中国を統治するようになると、統一戦線の活動は他の優先事項の影に隠れた。しかし、この10年間の習政権で、統一戦線は一種の復興を迎えている。 米シンクタンク「ジャーマン・マーシャル財団」のマレイケ・オールバーグ上級研究員は、習氏の下での統一戦線について、「関連のあるすべての社会勢力と可能な限り広い連合を構築する」という点で、初期のものとほぼ一致していると話す。 表面的には、統一戦線工作部は謎の組織ではない。ウェブサイトをもち、そこで活動の多くを公表すらしている。だが、活動範囲はあまりはっきりしない。 活動の大部分は国内だが、「重要なターゲットは在外中国人だ」とオルバーグ氏は言う。 統一戦線工作部は現在、中国が自国領土と主張する台湾や、チベットや新疆における少数民族の弾圧といったデリケートな問題で、世論に影響を与える活動をしている。 また、外国メディアが中国について報じる際の語り口の形成や、外国で中国政府を批判している人々への攻撃、影響力の大きい在外中国人の取り込みなどに努めている。 「統一戦線の活動はスパイ行為も含むが、それよりも幅広い」と、米・南カリフォルニア大学のオードリー・ウォン准教授(政治学)はBBCに説明する。 また、「外国政府から秘密の情報を入手することにとどまらず、在外中国人を広範囲に動員することも、統一戦線の活動の軸となっている」と述べ、こうした影響工作において「中国は規模と範囲の両面で独特だ」と付け加えた。 中国はずっと、そうした影響力を欲しがってきた。そして、ここ数十年での台頭で、実際にそれを手に入れた。 習氏は2012年に国家主席に就任して以来、中国のメッセージを世界に向けて発信することに特に力を入れてきた。他国との関係では、対立的な「戦狼」外交を促進。国外で暮らす中国人らに対し、「中国のストーリーをうまく伝える」よう呼びかけてきた。 統一戦線工作部は、外国のさまざまな中国人コミュニティーの組織を通して活動している。それらの組織は、中国共産党を熱心に擁護し、反中国共産党的な芸術作品に対しては「検閲」を実施。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の活動への抗議もしてきた。統一戦線工作部はまた、チベット民族やウイグル民族など、中国で迫害されてきた少数民族の人々に対する、外国での脅迫にも関わっているとされる。 ただ、統一戦線工作部の活動の多くは、他の党機関によるものと重なっている。そのため、専門家らの言う「説得力ある否定論拠」が生まれ、それに隠れるように活動している。 この不透明さこそ、統一戦線工作部に対する多くの疑念と不安の元となっている。 中国実業家の楊氏は、イギリスへの入国が禁止された。これを不服として上訴すると、裁判所は楊氏が「国家安全保障に対するリスク」だとする、当時の政府報告書に同意。そうした理由の一つに、楊氏が統一戦線工作部との関係を大したものではないとしたことを挙げた。 これに対し楊氏は、違法なことは何もしておらず、スパイ疑惑は「まったくの虚偽だ」と主張している。 楊氏のようなケースはますます多くなっている。2022年には中国系イギリス人弁護士クリスティン・リー氏が、統一戦線工作部を通してイギリスの有力者らとの関係を深めようとしたとして、英情報局保安部(MI5)から非難された。その翌年には米ボストンで中華料理店を経営していた米国籍のリタン・リャン氏が、地域の中国系の反体制派の人々に関する情報を統一戦線工作部側に提供していたとして起訴された。 そして今年9月には、米ニューヨーク州知事の補佐官だったリンダ・サン氏が、中国政府の利益のために自らの地位を利用し、見返りとして旅行などの報酬を受け取っていたとして起訴された。中国国営メディアによると、彼女は2017年に統一戦線工作部の最高幹部の1人と会い、「中米友好の大使になる」よう言われたという。 成功した著名な中国人が、共産党に関係しているのは珍しいことではない。党に認められることは、特にビジネスの世界において、必要になることが多い。 では、影響力の利用とスパイ行為の境界線はどこにあるのか。 米ジョンズ・ホプキンス大学のホー・フォン・ホン教授(政治学)は、中国の活動となると「影響力とスパイ行為の境界線はあいまいだ」と言う。 このあいまいさは、中国が2017年にある法律を成立させた後に、さらに強まっている。その法律は、中国の国民と企業に対し情報調査への協力を義務付けるもので、政府への情報提供も含まれる。ホン教授はこれを、「実質的にすべての人を潜在的スパイにするもの」だとしている。 中国の国家安全省は、外国のスパイは至る所にいて「ずる賢く卑劣だ」と国民に警告する、ドラマチックなプロパガンダ動画を公開している。 中国から外国に特別に派遣された学生の中には、外国人との接触を制限するよう大学から言われ、帰国後に活動報告書を求められた人もいた。 それでも習氏は、世界に向けて中国をアピールすることに熱心だ。党の信頼できる部署には、中国の力を外国に誇示するよう命じている。 そうしたことが、西側諸国に課題を突き付けることとなっている。世界2位の経済大国とのビジネスと、安全保障に関する深刻な懸念について、どうやってバランスを取ればいいのかという難問だ。 ■影響力の射程距離が長い中国との格闘 中国の国外での影響力に対する真の懸念は、西側でタカ派的な感情に訴える力をもっており、各国政府はしばしばジレンマに陥っている。 オーストラリアのように、国内問題に干渉しているとみなされた人物を犯罪者とする新たな法律を制定して、自国を守ろうとする国もある。アメリカは2020年、統一戦線工作部の活動に積極的だとみられる人へのビザ(査証)発給を制限した。 中国はこれに立腹。そうした法律と、それに基づく訴追が、二国間関係を阻害していると警告している。 中国外務省の報道官は今月17日、記者団から楊氏について質問されると、「いわゆる中国スパイ疑惑は完全にばかげている」と返答。「中英関係の発展は、両国の共通の利益に資する」と述べた。 専門家の中には、統一戦線の影響力の及ぶ範囲が広いのが心配だとする人もいる。 前出の米ジョンズ・ホプキンス大学のホン氏は、「西側各国の政府は今や、中国の統一戦線の活動を甘くみてはならない。国家安全保障に対してだけではなく、大勢の中国系市民の安全と自由に対しても、深刻な脅威になっていると受け止める必要がある」と言う。 しかし一方で、「各国政府は、反中的な人種差別に警戒する必要がある。そして、脅威に対して一緒に対抗するため、中国系コミュニティーとの間で信頼と協力関係を築く努力をしなくてはならない」と語った。 昨年12月、ヴェトナム出身で、オーストラリアの中国系コミュニティーの指導者だったディ・サン・ドゥオン氏が、外国による干渉を計画した罪で有罪判決を受けた。判決では、同氏がオーストラリアの閣僚に取り入ろうとしたと認定された。 検察は、ドゥオン氏が1990年代に選挙で立候補し、中国政府関係者らとのつながりを自慢していたことから、統一戦線工作部の「理想的な標的」だったと主張した。 ドゥオン氏の裁判で焦点となったのは、慈善イベントに閣僚を参跳ねくことは「私たち中国人」にとって有益だとした、同氏の発言だった。この発言でドゥオン氏は、オーストラリアの中国人コミュニティーのことを言っていたのか、それとも中国本土のことを指していたのかが問題になった。 最終的にドゥオン氏は有罪とされ、禁錮刑を言い渡された。このことは、適用範囲が広い反スパイ法とそれによる起訴が、中国系の人々を狙う武器になりやすいという深刻な懸念を生んだ。 「中国系の全員が中国共産党の支持者というわけではないことを忘れてはならない。また、こうした在外者の組織に関わっている全員が、中国への熱烈な忠誠心で動いているわけでもない」と、前出の南カリフォルニア大学のウォン氏は言う。 「人種プロファイリングに基づく、あまりに攻撃的な政策は、中国系は歓迎されないという中国政府のプロパガンダを正当化するだけだ。そして、在外者コミュニティーを、中国政府の腕の中に深く押し込むことになる」 (英語記事 United Front: China's 'magic weapon' caught in a spy controversy)
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