作り手にとって他者の価値観との衝突は、必要なプロセス――映画『本心』製作の裏側
フランスとの文化の違い
石井 一番感じたのは、映画全体をひとつのテーマに集約させて、それとは関係ない部分をノイズとして切り落としていくような編集手法でした。 僕はむしろミルフィーユのように多層的になった原作の構造を生かしたかったんです。観客それぞれが作品から受け取るものがちょっとずつズレていても、全体としては調和がとれているイメージです。だからテーマ主義のフランスチームとはかなり衝突しましたね。もちろんその衝突自体に気づきがあって、スリリングで面白かったんですが。 きっと『本心』を脚本化する過程でも、原作の大事な要素をどんどんカットされるたび、平野さんは同じような傷つき方をされていたんじゃないかと反省しました。 平野 いや、そんなことないですけど(笑)、そういうフランス的なテーマ主義で編集すると、尺はだいぶ短くなるでしょう? 石井 はい。一度は1時間50分ぐらいまで切られました。揺り戻しがあって、完成尺の2時間2分ぐらいに着地したんです。 あとはナレーションとか、脚本にあったチャプター分けなんかも、説明的だということでどんどんカットされました。 平野 説明的なものを嫌うのは、世界的な傾向なのか、それとも、そのフランスチームの趣味なのか。 石井 フランス人特有だと思います。 平野 フランスのドキュメンタリーなんか見ていても、基本的にナレーションを入れませんね。日本のドキュメンタリーは、ナレーションの比重が大きいですよね。 石井 フランスチームには、「観客は自分で考えた上で理解したいんだ。先にあれこれ言って欲しくないんだ」といった言葉で説明されました。 でも、こちらがある程度道筋を示した上で、さらに観客独自の理解を深めてもらうことも可能だとは思うんですが……。 平野 文学って、基本的に「言わずもがな」というか、説明過多になることを嫌ってきたジャンルなんじゃないかと思うんです。それでも一定以上の規模の読者に読んでもらいたいと思った時には、ある程度説明すべきなんだ、ということを編集者などから言われた時期がありました。また、さきほど話に出たような、「本筋以外のひろがりはできるだけ削った方がいい」という指摘も同じ頃よく受けました。 僕が経験した「わかりやすさ」をめぐる葛藤と、石井監督がフランスで経験された「説明的なもの」をめぐる葛藤は、やや異なるかもしれませんが、作り手にとって他者の価値観との衝突は、やっぱり必要なプロセスではないかと思います。 ところで、「日本を舞台にした話である」という点で、フランスチームとの間で齟齬が生じることはありませんでしたか?