サンフレッチェ新スタジアムで広島中心地が激変 ファミリー層や若者を取り込んで街全体が活況に
とはいえ、新スタジアム完成に至る道のりは一筋縄ではいかなかった。サンフレッチェの仙田信吾社長はしみじみと経緯を語る。 「市中心部の専用スタジアム建設に関しては、森保さんが率いて初優勝した2012年から署名活動が始まり、37万人の署名を2013年に広島県と市に提出。そこから有識者検討会議が発足して、具体的な話が進んでいきました。 問題となったのは候補地です。広島というのは太田川のデルタに発展した町で平地が少ないんです。候補地も限られていて、挙がってきたのは旧広島市民球場跡地、広島みなと公園と現在の中央公園広場の3つ。しかし、2014年時点では『基町高層アパートが隣接していて、迷惑施設になりかねない』という懸念から、中央公園広場が外されてしまったんです」
■候補地の決定にまで紆余曲折 そこでアクションを起こしたのが、当時のサンフレッチェ会長の久保允誉・エディオン代表取締役会長兼社長だ。2016年3月の記者会見で地元の名士はこう強調したという。 「サンフレッチェの声を聞いてほしい。我々は町中のスタジアムにこだわりたい。中心部にあることで将来の発展の基盤になるし、平和の発信基地にもなる。広島みなと公園では困難に陥るという試算も出ているため、ここに決まった場合、我々は一切、使いません」
この強い意思表明によって流れが大きく変わったと仙田社長は言う。 「結果的に中央公園広場が再浮上しました。自治体による住民対策も熱心に進み、2019年のトップ会談でようやく今の場所に作られることが決定しました。町中心部の専用スタジアムというのは、本当に関係者が努力に努力を重ねた成果なんです」 一方で、建設費用の捻出も大きなハードルだった。当初予定された建設費用は270億円。その負担内訳は、国庫補助金80億円、広島県・市が各50億円、寄付金が63億円、使用料収入等(市債)が27億円。寄付金63億円はエディオンが30億円、マツダが20億円、地元経済界が10億円、個人の寄付が3億円という見積りだった。