“月光仮面のおじさん”役、大瀬康一も大人気 大部屋俳優からテレビスタアに
現在、放送されているヒーロー番組では、変身前のお兄さんは変身後のヒーロースーツを着て、アクション場面を演じることはありません。しかし、テレビヒーロー創世期の「月光仮面」においては、役者がそのままヒーロースーツを着て、悪と闘うシーンが撮影されていたそうです。制作費もスタッフも、まして役者も十分に揃えられなかったことがその理由でした。 奇妙な格好をした正義のヒーローも大人気でしたが、変身前のおじさん、祝十郎を演じる新人俳優・大瀬康一も大いに魅力的だったと当時を知る人は口々に語ります。 「【連載】「月光仮面」誕生60年 ベンチャーが生んだヒーロー」の第5回では、「月光仮面」の出演をきっかけに一躍、テレビスタアとなった大瀬康一の誕生といまでは想像し難い過酷な撮影現場について解説します。
名もなき新人俳優・大瀬康一はどこからやって来たのか?
ドラマ制作のプロダクション機能をもたない一広告代理店の社長が、勢いまかせのアイディアで番組制作を思いつき、人材も機材も何もないところから、映画界の下積みだった青年をプロデューサーとしてスカウト、さらにその縁で監督経験のない若者に監督を任せ、どさくさのなかで生まれた設定のヒーローを作品としてなんとか現実化してみせた――それが『月光仮面』という番組の実態だった。 こんな熱意のかたまりなれど安づくりの番組が大人気を獲得した主な要因は、もちろんビジュアルからテーマソングに至る月光仮面という日本初のテレビヒーローのインパクトにあるわけだが、もうひとつの大きな魅力は主役の探偵・祝十郎(そして実は月光仮面)に扮した名もなき新人俳優・大瀬康一のフレッシュさであったはずだ。いったいこの大瀬康一というテレビスタアはどこからやって来たのかといえば、これがまた面白いことにプロデューサーの西村俊一、監督の船床定男と同じく、映画界のアウトサイダーだったのである。 1937年、横浜に生まれた大瀬は小学校時代は美空ひばりが隣のクラスの同級生だった。親戚が俳優の龍崎一郎と知り合いだったため、龍崎の付き人のようなことをしているうちに、その紹介で東映大泉撮影所の大部屋俳優となった。当時の東映大泉のスターは波島進くらいであったが、第二期のニューフェイスとして高倉健が新スター候補生として入ってきた。1956年公開の『電光空手打ち』では、いきなり高倉健が主役に抜擢されたが、大瀬はその映画でも画面で確認が難しいくらいのチョイ役を演っていた。 大瀬は端役のみならず、有名スターの吹き替えで船のマストから飛び降りたり、橋から落ちたりするスタントまがいのことも、追加の手当てめあてにすすんで引き受けていた。そんな将来の展望も持てない日々に、大瀬は知人のちょっとした勧めで、たまたま『月光仮面』のオーディションを受けることになった。そのきっかけとなった知人は、全く淡い関係の、『月光仮面』の主題歌を引くなら「どこの誰だか知らないけれど」というレベルの人だったというから、全く運命というものはわからない。