【データで見る】盤石だった巨人一強体制に訪れた翳り、そこにダメを押した野茂、イチロー、松井のMLB挑戦
さらに2001年には、日本プロ野球史上最高の「安打製造機」と言ってよいオリックス・ブルーウエーブのイチローが、シアトル・マリナーズに移籍。いきなり首位打者、最多安打、新人王、MVP獲得という大活躍をする。 これまで日本プロ野球では、その時代を代表するスター選手は、巨人から出ていた。戦前、戦後の川上哲治、1950年代の藤田元司、王貞治、長嶋茂雄(ON)、60年代の堀内恒夫、70年代の江川卓、80年代の原辰徳、斎藤雅樹、桑田真澄。日本のトップアマ選手は「ONのようになりたい」と巨人を目指したのだ。 しかし野茂英雄の登場以降、日本の野球少年は「巨人より上のステージがある」ことを知ってしまった。さらに2001年のイチローの大成功は、投手だけでなく野手でもMLBで活躍できることを証明した。 MLBは「レベルの高いステージ」というだけではない。年俸でもけた違いだ。イチローはNPBのオリックス時代、球界最高の5.3億円を得ていたが、ポスティングシステムでMLBに挑戦した1年目は567万ドル(当時のレートで約6.9億円)、2005年には1250万ドル(約13.8億円)、2008年には1800万ドル(約18.5億円)を得ている。 日本にいては絶対に手にすることができない、巨額の年俸も、野球少年がMLBを志向する一因となったのだ。 ■ ついに「球界の盟主」巨人からもメジャー志望者が そして2003年、ONの流れをくむ巨人の正系といえるスラッガー、松井秀喜がニューヨーク・ヤンキースに移籍した。 松井は移籍会見の席上、球団やファンに対して謝罪の言葉を口にしたが、当時の巨人の主砲・松井の移籍は、日本では抜群の人気を誇る巨人でさえもMLBの風下に位置していることが明らかになった瞬間だともいえよう。
■ 野球中継にも変化、伸び悩むようになった視聴率 そして「日本人選手のMLB挑戦」は、野球少年の憧れの対象だけでなく、放送業界の勢力図にも大きな影響を与えていった。NHKのBS放送は1984年から試験放送が始まっていたが、1995年、野茂英雄がドジャースで登板し、それをNHKBSで放送すると加入者が急増した。 さらに2001年にイチローがMLBに挑戦すると、数日に1回しか投げない先発投手とは異なり、シーズン中ほぼ毎日出場するイチローを見るために、加入者がさらに増加した。 これまで「プロ野球観戦」と言えば、夕食どきに、家族で地上波テレビを囲むものだったのが、野茂、イチローの挑戦以降は「早朝」や「午前11時」からのBSテレビ視聴という新たな「観戦スタイル」も生まれた。 そして21世紀にはいると「巨人一強」の力の源泉だった「巨人戦の視聴率」が如実に下落しはじめるのだ。 平成以降の関東地区の巨人戦の平均視聴率の推移(ビデオリサーチによる)。「位」は巨人のリーグ順位。 1989年:22.7%(1位) 1990年:20.6%(1位) 1991年:17.2%(4位) 1992年:19.3%(2位) 1993年:21.5%(3位) 1994年:23.1%(1位) 1995年:19.8%(3位) 1996年:21.4%(1位) 1997年:20.8%(4位) 1998年:19.7%(3位) 1999年:20.3%(2位) 2000年:18.5%(1位) 2001年:15.1%(2位) 2002年:16.2%(1位) 2003年:14.3%(3位) 2004年:12.2%(3位) 2005年:10.2%(5位) 2006年: 9.6%(4位) 巨人戦の視聴率は、1990年代まで、概ね20%の平均視聴率をキープしていた。テレビのマルチチャンネル化が進み、視聴者の選択肢が広がる中で、これは強力な数字だった。また巨人が強いと視聴率は上がるという法則も見て取れた。 しかし2001年に15.1%とかつてない低い数字を出すと、翌年は巨人が優勝したにもかかわらず1.1ポイントしか上がらず。そして2003年以降、坂道を転がり落ちるように低落して10%を割り込む。 21世紀に入って視聴率低下によって「巨人一強」体制が崩壊したことは、何を意味していたのか? それは当時のプロ野球関係者にもよくわかっていなかった。 しかし2004年に起こった「球界再編」によって「変わってしまったプロ野球」の実態が明らかになっていく――。
広尾 晃