「トルドーさんの料理は2倍の量で」30代で下足番からキャリアをスタートさせた老舗料亭の“養子さん” 村田知晴さん(43)が、広島サミットで料理をつくるまで
ーー学校もお義父さまが選ばれたのですか? 村田 大将が選びました。生徒の国籍もばらばらで、サウジアラビア、中国、韓国、イタリア、ドイツ、僕らより若い子ばっかりで。ホームステイ先のママも英語しかしゃべれないから、いやおうなしに英語漬けになるんですよ。 帰国して、本店の敷地内にオープンしたお弁当と喫茶の店「無碍山房」の立ち上げに参加してサービスを経験して、それから本格的に本店の厨房に立つようになったのかな。
厳しい世界を想像していましたが…
――料理はつくったこともなかったとおっしゃっていましたが、最初はできないことのほうが多かった? 村田 なんでこんなにできないんだろうっていうくらいできなかったです。たとえば栗をむくにしてもガタガタになるし、蕪のかつらむきも皮がつながらなければ、表面の艶も出ない。当然お客さまには出せないので、まかないにしたり。 ――昔の厨房のイメージでいうと、怒鳴られたりするのかなと想像してしまいますが、こちらの厨房では若い方がみなさんのびのびと楽しそうに働かれていて。 村田 そうなんです。僕も漫画で読んだ「味いちもんめ」とか「美味しんぼ」のような厳しい世界を想像していましたが、うちの厨房ではまったくないですね。 大将の理論が、怒ってどうこうするとか、技は見て盗めとか、そういうことでは人は育たないから、知っていることは全部教える。すべて教えて、早く育てて、早く独立させる。そうすると、日本料理というものはどんどん世界に広がっていく、という考え方なんです。 包丁の使い方からレシピの配合まですべて教えるので、成長は早いですよ。なおかつお客さんが1日100人以上来られますから、夏場にハモをおろすにしても練習量がそもそも違う。さらにうちは世界でいちばんいい食材を使っているので、やっている人間からしたら、めちゃくちゃ濃密な厨房です。僕にとってもよかったかもしれない。 まもなく入社して10年目に入りますが、今年から月に1回、「赤坂 菊乃井」のカウンターにも立っています。
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