「選挙に受かるために…」 国民・玉木代表が強調する、大平元首相との“遠過ぎる”親戚関係
あまりに遠過ぎる親戚関係
つまり、玉木代表の父親の姉の夫の弟のところに、大平元首相の次男の奥さんの妹が嫁いでいる、ということだ。 それにしても遠い。遠過ぎる。 これで縁戚者のような顔をして大平家の墓参りをしたのでは、大平家側が不快感を示すのも当然。「パフォーマンス」とのそしりは免れまい。しかも、「父親の姉の長女が邊見家に嫁いだ」という、「玉木本人に聞いてみて」渡辺さんが教えてくれた説明は間違っていたことになる。玉木代表は大平家との関係を正確に把握していないのに、「縁戚関係」と言い続けてきたのだろうか。 「芳子さんと満子さんはいつのまにか玉木さんを大平家の正式な親族同然に扱うようになっており、地元では“ああ、玉木さんもやっぱり権力とお金に弱いんだ”という声が上がっていました」(前出・地元政界関係者)
「秘書が続々と辞める」
いずれにせよ、大平元首相の親族のバックアップを得たことにより、玉木代表の地盤は盤石に。09年以降、今回まで6回連続で選挙区での当選を果たしている。 「民主党が野党に転落した12年の選挙の時にはもう、あんまり大平アピールをしなくなっていました。事務所関係者から“大平の親戚と言うのはやめたほうがいい。親戚じゃないんだから”と忠告されたようです。玉木さんが選挙に強くなった背景には秘書たちの頑張りもありました。彼は“私は財務省時代は2~3時間しか寝ていなかった”などといって秘書を酷使する。そのせいで秘書が次々と辞めていきました」(玉木事務所関係者) 秘書らの地元での奮闘にも支えられ、旧民主党内で頭角を現していった玉木代表。しかし彼は、小池百合子東京都知事が立ち上げた旧希望の党への合流騒動や、旧立憲民主党との合流への賛否を巡っての旧国民民主党の分党など、合従連衡の波の中をたゆたうことになった。
「自分が目立ちたい人」
政治ジャーナリストの青山和弘氏が言う。 「永田町では『自分中心で自分が目立ちたい人』との評価がつきまとっています。20年に立憲民主党との合流話が持ち上がった時も、政策面のみならず自分が埋もれてしまいそうだと判断したから、国民民主党のトップとして残ったとみられています」 元朝日新聞政治部記者でジャーナリストの鮫島浩氏もこう語る。 「彼は良くも悪くも自分が前面に出るということをずっと推し進めてきた人です。国民民主党の代表になってからも、とにかく党のお金を使って、ガンガン自分のためにインターネット戦略を進める。『自分を売るために党のお金を使っている』という批判が党内にあったほどです」